10分でわかる世界史Bの流れ!古代ローマ文明(4)~独裁者と平和~

独裁政治は悪いことなのか?

【前回までのあらすじ】(3)古代ローマの経済格差と内乱の1世紀

長期間の戦争によって、ラティフンディア制が生まれ、多くの農民が没落しました。
グラックス兄弟やマリウスが、ローマを立ち直らせようと様々な改革を試みますが、失敗したり、イマイチだったり。

前回のように、政治が上手くいかないのは貴族で構成される元老院が圧倒的な力を持っていたためでした。
彼らは当然、自分たちの利益を覆すような改革は許しません。

そんな停滞した雰囲気を壊したのは、独裁官のカエサルです!いったい彼はどのようにして改革を起こすのでしょうか?

みなさん、「独裁政治」という言葉にどんなイメージがありますか?

独裁と聞くと、北朝鮮の朝鮮労働党や中国の共産党などの独裁政権の悪いイメージが強いですよね。

他にもヒトラー率いるナチ党や、カンボジアのポルポトによる独裁政治は後に大量虐殺を引き起こしていますから、とにかく「独裁」に関して現代は否定的です。
が、独裁政治について悪い面ばかりを見ていてはいけません。独裁政治にはいい面だって当然あって、それを国民が望む場合だってあるのです。

今回ご紹介する、カエサルやアウグストゥスも独裁政治を行いましたが決してヒドイ政治にはなっていません。

もちろん、昔と今の時代は違いますから一概に言えませんが、民主主義がいい場合と独裁政治がいい場合の両面があることを知っておいてくださいね!(特に、乱世のときには独裁の方が上手くいくこともあります)

第1回三頭政治とカエサルの独裁政治

 

さてローマは内乱の1世紀の中、同盟市や奴隷の反乱によって混乱していました。そんな混乱を沈めようと、前60年に3人の政治家が立ち上がりました!

ポンペイウス・カエサル・クラッススの3人です!

ポンペイウス:貴族たちを中心に支持されている政治家でいわゆる閥族派
カエサル:平民たちを中心に支持されている政治家でいわゆる平民派
クラッスス:は・・・パルティアにて死んで三頭政治から退場した悲しい男

この3人が元老院を無視して、力を合わせてローマの政権を握った時代を第1回三頭政治(前60〜前53年)といいます。

この中でも一番有名なのが平民派のカエサルです!

彼は「借金王」と呼ばれるほど貴族から借金して、平民たちに見世物に招待したりパンを配ったりしたので、平民からの人気が高く平民派となったわけです。

カエサルは前58年〜前51年までフランスのガリアまで遠征して征服してきたヒーローです。

そんな中、前53年にクラッススが死にます。急ですがw
パルティアという現在のイラン・イラク地域まで遠征していたのですがそこで討死にあったのです。

クラッススが死に、3人のパワーバランスが崩れた時、第1回三頭政治という協力関係は終了します。カエサルは、ガリアから一気にローマまで進軍しポンペイウスを追い立てます。

こうしてカエサルはポンペイウスを倒し、前46年にはローマの権力を掌握し独裁官(ディクタトル)として10年間君臨しました。独裁官といっても、平民派のカエサルは平民に優しい政治を行いました。

<「ブルータス、お前もか」を描いた絵画>

カエサルは当時からかなりの人気者で、しかもこれまでのローマの共和政を改革しようとしました。
が、このカエサルの行動に「カエサルは王になりたいのではないか?」という噂が立つようになります。

ローマが共和政になる以前は、エトルリア人の王政でした。ゆえにローマ人たちは王政つまり君主政に対して抵抗感があり、前44年にカエサルはブルータスを中心とした共和主義者によって殺害されました。

ここが「ブルータス、お前もか!」の裏切りの場面となります。

第2回三頭政治の覇者は誰か?

独裁官カエサルの死後、カエサルの直属の兵士たちは職に困りました。大富豪であったカエサルは、私兵のように兵士たちを養ってくれましたがブルータスたちは違います。

そんな兵士たちの人気を集めたのがオクタヴィアヌスです。

オクタヴィアヌスはカエサルの養子で、わずか19歳にしてカエサルの莫大な財産を相続していたため金がありました。兵士たちは金がある人が大好きなので、オクタヴィアヌスは兵士である平民の支持を集め、大物政治家となりました。

カエサル死後の1年後の前43年、第2回三頭政治が始まります。

オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥスの3人です。

オクタヴィアヌス:カエサルの養子で、お金持ち

アントニウス:かつてのカエサル兵団の武将で有能な実力者

レピドゥス:・・・はすぐに失脚します

レピドゥス失脚後またも三頭政治は歪み、オクタヴィアヌスとアントニウスの対立が激しくなります。

お互い対立しているので、オクタヴィアヌスはローマ支配領域の西側、アントニウスは東側を統治するようになります。

そんな中、アントニウスはプトレマイオス朝エジプトクレオパトラと出会い恋に落ち、エジプトに肩入れするようになります。

エジプトに擦り寄るような行為がローマ人市民の支持を得ることなど当然難しく「エジプト女、しかも女王に骨抜きにされ、ローマ人の自覚を失った男」だとアントニウスは非難され始めます。

これを好機!と見たオクタヴィアヌスは、前31年のアクティウムの海戦で勝利し、アントニウスとクレオパトラは死亡、プトレマイオス朝エジプトは滅びました。

オクタヴィアヌスによるローマ帝国

オクタヴィアヌスがアクティウムの海戦に勝利し、エジプトを属州にしたことにより内乱の1世紀は終焉に向かいます。

つまり、共和政が崩壊し、ローマは帝政に向かうということです。

カエサルは王になろうとして殺害されてしまいましたが、彼の養子であるオクタヴィアヌスはすんなり皇帝になってしまいました。

元老院側も、支配領域が広くなってきたローマの現状では、共和政に限界があることを認めたのでしょう。

オクタヴィアヌスは元老院から「アウグストゥス(尊厳なるもの)」の称号を与えられ帝政を執行することを認められました。

しかし賢明なオクタヴィアヌスは最高権力者という仰々しい立場にたつと暗殺されると理解していたので、プリンキパトゥス(元首政)、「私はあくまでも第一市民です」と謙遜し、元老院の面子を建てました。

つまりアウグストゥスの帝政は、共和政の体を保った上での帝政という理解が良いです。
後にドミナートゥス制という完全に元老院を無視した本当の帝政が始まりますから。

オクタヴィアヌスが事実上の帝政を始めた前27年こそローマ帝国の誕生です。

パックス・ロマーナ(ネロ帝の猛威と五賢帝時代)

 

ここから歴史は一気に進みます。

アウグストゥスによる帝政は大成功しました!(やはり帝政に移ろうとしたカエサルの読みは当たっていたのですね。)

1世紀から2世紀にかけての200年間のローマは、パックス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれ大きく発展しました。

1世紀 ネロ帝のキリスト教迫害

さて、ローマが1世紀を迎えたということはキリスト教の祖イエス・キリストが誕生したということでもあります。(イエスが生まれた日を紀元前と紀元後に分けたのが西暦ですからね!)

当時の新興宗教であるキリスト教がローマでも普及され始め、ローマ第5代皇帝ネロ帝は1世紀にキリスト教を弾圧しました。

彼は暴君の代表格としても有名で、周りの元老院議員から母親まで気に入らないものは殺し、あの初代ローマ教皇ペテロまで殺してしまっています。

ネロ帝の死後から五賢帝時代(96〜180年)が始まります。

ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの5人です。(後半4人、全員「ヌス」が付くのでリズミカルに覚えて欲しいです!)

五賢帝時代(1) ネルヴァ

ネロ帝の死後、ローマは後継者で少し揉めたのですが、最終的におじいちゃんであったネルヴァが皇帝として即位します。

が、おじいちゃんなのでわずか1年半でバトンタッチし有能な実力者トラヤヌスにバトンタッチします。

五賢帝時代(2) トラヤヌス

トラヤヌスのときに、古代ローマは最大版図、つまり支配領域が最大になります。

下の地図を見るとその広さが理解できます。西はスペイン・北アフリカ、東はメソポタミアまで幅広いです。

 

五賢帝時代(3) ハドリアヌス

次のハドリアヌスイギリスに長城を建てます。当時のローマが海を超えたイギリスに長城まで建てるほど力があったことを示すいい例ですね。

イギリスではケルト人がローマ人の侵攻に抵抗していたため117.5kmもの長城を建設したそうなのですが、正直これ本当に必要だったのか謎ですよね・・・。

なんかちょっとショボいし笑

 

五賢帝時代(4) アントニウス・ピウス

さて続いて、アントニヌス・ピウスはローマ史上最も平和な時代であったそうです。

平和であるがゆえに、特に大きな事件も起きず、覚えることもありません笑(ずっと平和な世界だったら、世界史という科目は薄っぺらいものなんでしょうね〜)

五賢帝時代(5) マルクス・アウレリウス・アントニヌス

五賢帝最後の皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは哲人皇帝と呼ばれるほど哲学好きな皇帝でした。

彼はゲルマン人との戦争中に、自らの戒めのためにストア派の哲学者として「自省録」を書きました。

マルクス・アウレリウス・アントニヌスが死んだ180年で、五賢帝時代は終了します。

(上画像はローマのカピトリーノ美術館のマルクス・アウレリウス・アントニヌスの銅像。かっこいい^-^)

五賢帝時代後のローマは衰退期に入ります・・・がそれは次の記事にて!

ちなみに、テルマエ・ロマエの世界は五賢帝の時代

ここからは余談ですが、マンガや映画になったテルマエ・ロマエの舞台はこの時代です。

作者ヤマモトマリさんはイタリアに長く住んでらっしゃる方なので、時代考察もしっかりしています。

今日、取り上げた皇帝で言うとハドリアヌスがメインで出てきて、アントニヌス・ピウスが脇役、哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスは天才少年のような扱いです笑

印象でなんとなく覚えるのも大事ですからテルマエ・ロマエを読めば少なくともこの3人は絶対覚えちゃうはずです!ついでに古代ローマの雰囲気も味わえて一石二鳥!

10分でわかる世界史Bの流れ!古代ローマ文明(5)~ローマ帝国の終焉~

2016.06.06