十字軍のおかげで、中世ヨーロッパが終わりを告げる!?
【前回までのあらすじ】(3)ヨーロッパの封建制度と荘園制 (6)十字軍の歴敗
そのうちの1つ、東方貿易の発達によってヨーロッパでは商業・貨幣経済が発達していく。これによって、中世ヨーロッパの封建制度が衰退を始める
前回の記事で、十字軍は尽く本来の目的を失敗に終わらせ、代わりに大きな3つの影響を残していきましたと解説しました。
今回はその3つの影響のうちの1つ、東方貿易の発達によって、商業活動・貨幣経済が発展し、自治都市・都市同盟・封建制度の崩壊などが起きたことについて詳しく見ていきたいと思います!
貿易の発達によって商業活動が活発化
ヨーロッパとイスラム圏、戦争がきっかけとはいえ互いの交流が活発化し、お互いの文化に驚きます。なんて素晴らしいものがあるのだと。
ヨーロッパ側からすると、香辛料が代表的ですね。そこに目をつけた商人たちが貿易で一儲けしようとし、商業が発展していきます。それまでの西欧では荘園内での自給自足が原則で、貨幣も衰退していました。
それが、貿易による商業の発達によって瓦解していくのです。
おかげで商業都市と呼ばれる都市が次々と現れました。今では、すっかり伝統工芸が有名な都市ばかりです。
特に有名なのは、イスラム圏に近い地中海沿岸のイタリアのヴェネツィア・ジェノバ・ピサ。
あとは、イタリアのフィレンツェでは毛織物と金融業で繁栄しました。
他にも現ベルギーのフランドル地方では毛織物業が、フランスのパリ東南部のシャンパーニュ地方では地中海地域と北海地域の中間地点ということもあり、東と西それぞれが混ざり合った貿易品が売買される定期市が開かれました。
商業の発展による都市の自立
このように多くの都市が商業で発展し力をつけ始めたため、いくつかの発展都市は親である王国に反抗し自治権を求めるようになります。王国からの課税から逃れたい!というわけです。
いくつかの都市は国王から多額の都市への課税の代わりに自治権を認められし自治都市となります。中でも、ドイツでの自治都市よりもランクが高い帝国都市(自由都市)は権力が非常に強く、当時の封建制度下で移動制限をされた農奴たちは、荘園から逃げてきて帝国都市で1年間逃げ暮らし自由の身分を保証してもらっていました。
ココで産まれたことわざこそ「都市の空気は自由にする」です
そして自治権を獲得したいけどそこまで力がない都市が集まって産まれたのが、都市同盟です。いくら力をつけ始めた都市でも、さすがに親である大国にいきなり反抗はできません。そこで力をつけ始めた都市同士で同盟し、王国に抵抗しようということです。
北イタリア地域では、ミラノなどを中心にロンバルディア同盟が結成され、見事に神聖ローマ帝国に対し自治権を獲得します。
他にも、13c後半にドイツ地域の都市リューベックを中心にハンザ同盟が産まれます。加盟市は100を越え、16cまで続きましたが自然と衰退していきました。
このハンザ同盟があまりにも規模が大きくなってきたので、1397年にはデンマークを中心にノルウェーとスウェーデンの3ヶ国でカルマル同盟が結成されます。
自治都市での同業組合、ギルドの成立
さて、自治都市内での市民たちはどのような職種についたのでしょうか?当然、荘園内のように農業をする必要はありません。なんといっても都市なのですから、自由に職業について自由に食糧を買えばいいのです。
しか〜し、そこまで自由が認められないのが中世のヨーロッパです。
ギルドと呼ばれる各同業組合が成立し、加盟者以外の職業への参入を拒んだのです。かなり保守的な制度ですよね。当然、正当な競争が行われないのでサービスの質も高まりません。
商人ギルドでは、ギルド内で市場が独占されで貿易品の売買が行われ、同職ギルドでは手工業者たちが組合を作ります。
同職ギルドってセンター頻出なのですが、理由はギルド内でもランクが付いていたからなんです。
一番偉いのは親方と呼ばれる身分で、部下である職人を指導する一方で、自分たちの職が失われないように新技術を徹底して嫌います。親方のおかげで技術の進歩は大幅に遅れます。
さらに職人という身分になるには、徒弟という無休の見習い期間を2〜7年も経ないとなることができません。このことも、また親方の身分を絶対のものにしていた一因でしょう。
なお商人ギルドと同職ギルド同士での抗争も頻発し、ツンフト闘争と呼ばれます。
中世のヨーロッパの封建制度の崩壊
このように十字軍によって商業貿易が発達し、各都市が力をつけ、自給自足の生活から脱し、貨幣経済が発達することによって、旧時代の遺物である封建制度は崩壊します。
というのも、領主たちだって貨幣経済の中では貨幣を必要とするようになりますから、それまで自分の領地で無償で農奴を働かせて農作物を貢納させていた労働地代から、農奴自身に貸し与えられた地で取れた農作物を貢納する生産物地代や、貨幣を貢納する貨幣地代へと移行していったのです。
これによって農奴は農耕へのモチベーションが少し高まり、領主と農奴の関係は良化していきます。
さらにこの時代、ペスト(黒死病)が大流行します。おかげで多くの農奴たちは死にましたが、農奴の全体数が減ったことで生き残った農奴の価値が上昇しました。需給の法則ですね。
結果農奴の地位は上昇し、次第に農奴解放される人々も現れ始めるのです。
農奴解放された人々は、独立自営農民(ヨーマンin England)と呼ばれ、与えられた土地で自由に農作物を耕すことができ、少しの地代を支払うだけでよく、ほとんど自由な身分でした。
さらに裕福な農民や没落領主はジェントリとイギリスでは呼ばれ、後の支配階級となっていきます。
農奴から解放され、農民という比較的自由な身分になった人々ですが、強欲な一部の領主たちは農民への支配を強めかつての封建制度の頃に戻そうと画策します。封建反動といいます。
しかし、一度自由という味を知ってしまった人間を制御することは歴史上不可能です。当然農民たちは、封建反動に対して大反乱を起こします。
有名なのは1358年のフランスでのジャックリーの乱と1381年のイギリスのワットタイラーの乱です。
ワットタイラーの乱は主導者も重要でジョン・ボールと言い、「アダムが耕しイヴが紡いだ時、だれが貴族であったか」と封建制度を厳しく批判する言葉を残しています。
つまりキリスト教原始の世界、アダムとイヴの頃は彼らを支配するような領主や貴族はいなかったのに、どうして今は封建制度みたいなのがあるの?ということです。
このように、十字軍からの一連の流れで悪しき封建制度は衰退の一途をたどります。1つの時代の区切り目ですね。