近代ヨーロッパは国民・市民の文化
【前回までのあらすじ】近世ヨーロッパ(15)
近世ヨーロッパ文化史では、理性/科学の発達がテーマでした。19世紀の近代ヨーロッパになると、産業革命によって科学はより急進的に進みましたので、今回も多くの科学者がでてきます。また、科学を発展させた「考え方」、つまり哲学においても前回に引き続き進化がありますので、哲学者についても紹介していきます。
近世ヨーロッパでは、宮廷文化がメインテーマでしたが、レンブラントなど市民文化に焦点を当てた作品も少しずつ台頭しておりました。
近代ヨーロッパでは、フランス革命による国民国家/自由主義の考え方が盛り上がった時期なので、より一般市民/民族文化や個人思想に基づいた文化が本格的に台頭した時代でもあります。
19世紀の科学技術の発達
ファラデー 電磁誘導を発見
19世紀前半に活躍したイギリスの科学者、ファラデーは世界を変えた科学者とも呼ばれています。磁力の力を使って電流を生み出すことに成功したのです。我々の身近にある発電機や、モーターなどは電磁誘導を原理に動いているのです。
電気を産み出すことに成功したファラデーは、電磁気学の基礎を確立した人物だと言われています。
マイヤー&ヘルムホルツ エネルギー保存の法則
19世紀前半のドイツの科学者、マイヤーとヘルムホルツは、有名なエネルギー保存の法則を確立しました。(2人が協力し合ったわけではなく、ほぼ同時期に同じ結論にたどり着いただけです)
この地球には色々なエネルギーが存在しています。位置エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギーなどなど。
多様な種類のエネルギーがあって、運動エネルギー→熱エネルギーに変換することはできるけれど、この世界に存在するエネルギーの総量は変わらない、という不変の原理がエネルギー保存の法則です。
レントゲン X線の発見
名前を聞いただけで、どんな功績の人物なのかわかる19世紀終わりに活躍したドイツの科学者です。
X線はほとんどの物質を通り抜けてしまう不思議な光線です。その原理を応用して作られたのが、医療機器レントゲンです。
彼は、金欲というものとは一切無縁だったようで、X線に関わる特許は取得せず、何の特許料も得無かったようです。ノーベル賞以外の賞も授与を断っています。
キュリー夫人 放射性元素 ラジウムの発見
19世紀終わりに活躍した ポーランドの物理化学者キュリー夫人。最近ではネガティブワードとして扱われる放射能物質、ラジウムを発見しました。
天然から採取できる放射性物質ラジウム。当時は、放射線が人体に非常に有害だと知られていなかったため、彼女は普通に素手でラジウムなどを扱っており、長年の被爆で白内障により失明したりと健康被害がありました。
未だに彼女の研究ノートは放射線を出し続けているようです。科学の発展の過程で、First Penguinには一定のリスクがあることを象徴していますね。
ノーベル賞を女性初、2度受賞など業績も本当に素晴らしい働く女性です。
ダーウィン 「種の起源」
19世紀後半に活躍したイギリスの博物学者、ダーウィンは「種の起源」を記したことで非常に有名ですね。
生物は、年月をかけた自然淘汰によって種としての特徴を多様に変化させていく、という進化論を打ち出しました。
この生物種が環境に応じて選択され、特徴を変化させていく考え方は、各生物は神によって作られたという考え方が常識のキリスト教圏ではスムーズには受け入れられませんでした。
特に人間は、神が人間として作ったのであり、自分たちは断じてサルから派生した生き物ではない!と信じている熱心なキリスト教徒は未だにいます。
パストゥール 狂犬病予防接種
19世紀後半に活躍したフランスの化学者、パストゥール。彼は微生物の研究者で、ワインやビールなどを発酵させる過程で生き物である微生物が作用していることを発見しました。
その後、細菌の研究も行い、致死率99%と言われていた必殺の病、狂犬病のワクチンを作ったことで有名。(ワクチンの祖、ジェンナーは18世紀の方なので時代が大きく違うことに注意。)
コッホ 結核菌、コレラ菌の発見
19世紀後半、ドイツの医学者コッホは近代細菌学の祖と言われています。
当時の世界的に大流行していた難病、結核の原因である、結核菌を突き止めたのです。人に悪さをしている原因元が分かれば、あとはそれを徹底的に研究するだけです。30年後、結核治療の手立てが確立し多くの人が救われました。他にも結核と並び立つ、コレラの病原菌も発見しました。
北里柴三郎 ペスト、破傷風菌の発見
19世紀後半、コッホに師事していた日本の北里柴三郎。ペストや破傷風の病原菌を発見しました。
ノーベル ダイナマイトの発明
19世紀後半に活躍した、スウェーデンの科学者ノーベル。
ダイナマイトなどの多様な発明による特許収入によって、巨万の富を築いてノーベル賞という人類史に残る偉大な業績を残した人を称える制度を確立しました。
モールス モールス信号の発明
19世紀前半に活躍したアメリカの発明家、モールス。彼は、母の危篤をすぐに知ることができずに死に際に立ち会えなかったことを悔み、長距離間での情報通信手段の開発に打って出ました。
そこで発明されたのがモールス信号です。長と短というたった2つの記号で、文字を繋いでいく方式です。軍の情報やり取り手段であった電報などで使われました。
よく映画である、「母危篤」などの電報でのやり取りが可能になったのは19世紀後半から。モールスのおかげですね。
グラハム・ベル 電話の発明
19世紀後半、電話を発明したスコットランド人のベル。
世界初の電話通信の言葉は、希硫酸をこぼしてしまったベルが助手ワトソンに発した「ワトソン君、ちょっと来てほしい」です。発明と特許は非常に密接な関係があり、ベルは何度も特許侵害だと訴訟されましたが、一度も負けたことがありませんでした。
エジソン 蓄音機、電灯の発明
発明王として名高いエジソンは19世紀後半に活躍した、アメリカ人です。(電話機を発明したのはベルですが、その電話機を改良して実用的なレベルにしたのはエジソンです。)
彼の多数の発明の中で、最も有名なのが電球でしょう。ですが厳密に言うと、電球を初めて開発したのはスワンというイギリス人です。エジソンは、炭化繊維の代わりに京都の竹を使って長寿命の白熱電球を改良発明したのです。
その後、スワンとエジソンは送電事業を共同で行った。ただしスワンは根っからの研究者。事業にはあまり熱心ではありませんでした。対するエジソンは事業家でもあり、ビジネスを拡大させることに長けていました。1889年のパリ万博で数万もの白熱電球でライトアップするなど、派手なマーケティング好きでしたので、人々の記憶として電球の発明家として残っているのでしょう。
ライト兄弟 飛行機の発明
飛行機の発明に成功したライト兄弟はアメリカ人でした。
1903年に59秒の飛行に成功したライト兄弟の飛行機は、すぐに実用化(正確には軍用化)が求められ、1914年の第一次世界大戦では偵察機として重用されました。
ライト兄弟は、晩年には航空機の発明によって多くの人々の命を奪ってしまったことを悔いながら、眠りについたそうです。
古典主義(文学、美術)
19世紀にはロマン主義、写実主義など新しい考え方が人々の民族文化を興隆させました。それに対して、19世紀の初頭には一部古典的な作品を描いた芸術家もおり、彼らは古典主義だと呼ばれている。
ゲーテ 「ファウスト」(文学)
18世紀終わりから19世紀初頭にかけて活躍したドイツ文学者、ゲーテ。シラーとともに、ドイツ古典文学を確立した人物であると知られている。
古典主義とは、古代ギリシャやローマ時代を振り返り、現代(当時)に伝えようとした人たちと捉えてもらえれば良いだろう。
ダヴィッド 「ナポレオンの戴冠式」(美術)
フランス革命、ナポレオン時代に活躍した19世紀初頭のフランスの画家。多数の歴史上の出来事を描いており、中でもナポレオンのおかかえ画家であったため、「ナポレオンの戴冠式」が非常に有名。
彼の描く画は、古典的な形式美にのっとっているようで、歴史に忠実で写実的でもありましたので新古典主義とも呼ばれます。
ロマン主義(文学・美術)
18世紀が宮廷文化の興隆した時代であれば、19世紀は市民・国民文化が爆発した時代です。ギリシャ・ローマ時代といった古き時代を模範とする文化ではなく、もっと自由に個人の感性を爆発させた世界を表現しようとしたのがロマン主義です。
グリム兄弟 「グリム童話集」(文学)
19世紀前半のドイツで活躍したグリム兄弟。白雪姫や赤ずきんちゃんなど、世界的に有名なお話が載っている童話集です。
19世紀前半のドイツといえば、神聖ローマ帝国が消滅して、ウィーン会議後ドイツ連邦ができるもそれぞれの君主国が独立しておりバラバラな状態でした。そんな中グリム兄弟は、何とかドイツ民族の一体感を高めるためにドイツの伝統的な口承民話・童話を集めてまわりグリム童話集を作ったのです。
一般市民が、自分のできる範囲で国家を想い、行動してドイツの国民国家の確立に貢献したという点が非常にロマン主義的です。
バイロン 「チャイルド・ハロルドの遍歴」(文学)
「チャイルド・ハロルドの遍」は、自身の地中海旅行に基づいて描いた青年の物語です。作品はそこまで有名ではないかもしれませんが、1821年にギリシャ独立戦争に参加したことで有名です。彼は男爵の位のイギリスの貴族なのですが、なぜかギリシャ戦争に参加しました。
彼は恋愛した女性も多く、非常に情熱的な男性だったのでしょう。
ユゴー 「レ=ミゼラブル」(文学)
フランスの詩人、ユゴーは19世紀にわたって活躍したフランス国民に非常に愛された詩人です。
1830年の七月革命時に共和主義者として王政と戦い、1848年の二月革命以降は共和派として政治活動を行いました。
ドラクロワ 「民衆を率いる自由の女神」 (美術)
19世紀前半に活躍したフランスの画家、ドラクロワ。1830年の七月革命を描いた「民衆を率いる自由の女神」は非常に有名で、フランスの自由の女神の象徴マリアンヌが市民を導く姿を描いている。
ドラクロワを有名にした作品は、上記画像の「キオス島の虐殺」というギリシャ戦争時にオスマントルコ軍がギリシャのキオス島の人々を虐殺する様子を描いた作品だ。おぞましい虐殺の様子を、鮮やかに禍々しく個性的に描いている点がロマン主義的である。
写実主義(文学・美術)
古典主義が理想的な様式美、ロマン主義が幻想的な雰囲気を求めていたのに対して生まれたのが写実主義です。現実に生きる人間、そこにある社会を主観を排除してありありと描き出そうとしました。
スタンダール 「赤と黒」(文学)
19世紀前半に活躍したフランスの文学者スタンダール。代表作の「赤と黒」は、ナポレオン失脚後の王政復古の時代を恋愛小説ながらも非常にリアルに写実的に描いた作品です。
バルザック 「人間喜劇」(文学)
19世紀前半に活躍したフランスの小説家、バルザック。彼が小説を書くスピードは驚異的であったと言われており、フランス社会全体の中で多様な人間の精神面をありありと描き出しました。
ドストエフスキー 「罪と罰」(文学)
19世紀後半に活躍したロシアの非常に有名な作家。代表作はもちろん「罪と罰」。人間の苦悩に対面した際の精神を描き出している点が、リアリズムです。
トルストイ 「戦争と平和」(文学)
19世紀後半に活躍したロシアの文学者。
代表作、戦争と平和ではナポレオンのロシア進軍に対して抗うロシア人の様子を描いた歴史小説。500人もの登場人物が写実的に描き出されている。描いている作品からも分かる通り、非暴力主義者でガンジーとも文通を交わしている。
クールベ 「石割り」(美術)
19世紀後半に活躍したフランスの画家。当時ロマン主義が流行っていたフランスで、リアリストを宣言しており写実的な作品を多く残している。
19世紀後半には産業革命が進み資本家と労働者が生み出されていました。クールベは社会主義者でしたので、厳しいフランス社会に晒されたボロ着を身に着けた農民労働者を写実的に描き出し、ナポレオン3世による帝政下の社会を嘆きました。
クールベの自画像「絶望」や、女性の性器を正実に描いた「世界の起源」などは現代人が見ても心に衝撃を与えるような作品です。
ミレー 「落ち穂拾い」(美術)
19世紀後半に活躍したフランスの画家。農民の地味な日常を写実的に描いた作品が多いです。
派手で理想的なロマン主義に対して、写実主義は本当に画家自身が美しいと思うものをリアルに描き出しています。個人的には、そこに画家の反骨的な意志を感じることができて好きですね。
印象派(美術)
19世紀後半のフランスにて流行した、光や色の鮮やかさを重視した芸術画法です。
古典主義の様式美、ロマン主義の強い個性、写実主義のありありとした表現、どれとも異なるまったく新しい美術様式でした。
モネ 「印象 -日の出-」
印象派の巨匠、モネは19世紀後半のフランスの画家。代表作「印象 -日の出-」こそ、印象派の語源だ。
朝焼けに照らされた港の様子を美しい油絵だ。
ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
モネと同時代、同じフランスで過ごした印象派ルノワール。代表作、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は晴れた日の舞踏会の様子を印象派らしいタッチで描いています。
木漏れ日に照らされた人々がキレイですね。
ゴッホ 「ひまわり」
19世紀終わりに活躍したオランダの画家、ゴッホ。後期印象派の1人だと言われています。
彼は生きている間に作品が全く評価されずに、最終的に精神破綻を起こして自殺してしまった悲劇の作家です。同じ後期印象派のゴーガンと共同生活を行ったが、互いの意見が合わずに喧嘩別れしています。
ちなみに19世紀後半のパリでは日本の浮世絵が流行しており、多くの印象派が衝撃を受けたといいます。(1867年の第二回パリ万国博覧会にて初めて浮世絵が展示されました。)ゴッホもその1人で、歌川広重の画などを真似てたくさん描いています。
近代哲学
経験の積み重ねによる判断を良しとするイギリス経験論と、合理的な判断を良しとする大陸合理論の合流点がカントの提唱するドイツ観念論でした。ドイツ観念論とは、自分が経験上認識できる範囲で、理性的/合理的に物事を判断しようと提唱するものです。
ヘーゲル ドイツ観念論の完成
カントのドイツ観念論は18世紀後半に始まり、ヘーゲルによって19世紀に完成されました。彼の提唱する弁証法哲学は、この狭いスペースで説明が難しいのでこちらのサイトを参照してみて下さい。とてもわかりやすく、大枠を掴むことが出来ると思います。
近代経済学
マルクス 「資本論」
ドイツでは産業革命が進行し、資本家と労働者の格差が明確になっていきました。そんな中で、理路整然とした理論にて労働者の立場に立った「資本論」を発表したのがマルクスです。
ベンサム 最大多数の最大幸福
<画像はベンサムの正義感を貫き通した男、Fate/Zeroの衛宮切嗣>
イギリスの功利主義者、ベンサム。彼が唱えたのは、「最大多数の最大幸福」です。人の幸福度というものが定量的に数値化できるのであれば、それを持って社会全体の物事を判断できるのではないか?という考え方のことです。
例えば100人のフランス王族のちょっとした至福を肥やすために、数万もの人々に重税を課し幸福度を大幅に下げることは、計算上社会全体の幸福を最大化できていない。だからそれは正義ではない、と判断します。
他にも、同性愛なども肯定されます。同性が好き同志が、愛し合うことは社会に何ら不利益を与えていないので、+しかなく正義であるなどなど。
マルサス 「人口論」
イギリスの経済学者マルサスは、産業革命によって人口が大幅に上昇したことを受けて、人口は爆発的に増えていくが食糧は爆発的に増やすことができないと、将来の食糧危機の警鐘を鳴らしました。
リカード 古典派経済学の確立
18世紀のアダム=スミスの打ち出した、自由主義経済を確立したのがリカードです。古典派経済学とも呼ばれます。
アダム=スミスが提唱したのは、市場に製品を出せば需要と供給の関係で自然に価格は決まっていく。ゆえに、政府などの手出しは無用であるという考え方。
リカードは、国際分業こそが世界社会全体に利益をもたらすと提唱しました。各国が自国の得意分野に注力し、自国の不得意分野は他国からの輸入に頼る。これが全体最適を産み出すというものです。