10分でわかる世界史Bの流れ!近現代ヨーロッパ(2)〜第一次世界大戦〜

第一次世界大戦はなぜ起きたか

【前回までのあらすじ】(1)帝国主義の高まり

バルカン半島の国々を巡って、パン=スラブ主義を掲げるロシアと、パン=ゲルマン主義を掲げるドイツ・オーストリアが対立。

さらにイギリスを中心とする三国協商と、ドイツを中心とする三国同盟も成立して、第一次世界大戦に突入する盤上が整ってきた中、1914年6月28日のサラエボ事件がやってきます。

*画像探しが面倒なので、もしおすすめ挿絵画像あればコメントにurlリンクください!

第一次世界大戦の始まり

露土戦争後の1878年のベルリン会議後に、ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリアの占領が認められ、1908年には正式に併合しました。

しかしボスニア・ヘルツェゴビナにはゲルマン系だけでなく多くのスラブ系のセルビア人たちが住んでいました。スラブ系にしてみると、ゲルマン系のオーストリアに支配されるのは面白くありません。

立ち上がったのは20歳のセルビア人青年でした。オーストリアの皇族がボスニア・ヘルツェゴビナに来訪した時に、射殺します。これが1914年のサラエボ事件です。

オーストリアは、セルビア政府絡みの暗殺だったと断定して宣戦布告。オーストリアを支持するドイツと、セルビアを支持するロシアも互いに宣戦布告して、芋づる式に両国の同盟国も戦争に巻き込まれていきます。

こうして第一次世界大戦は始まりました。

第一次世界大戦の基本的な構図は、ドイツ🇩🇪 オーストリア🇦🇹(三国同盟側)VS イギリス🇬🇧 フランス🇫🇷 ロシア🇷🇺(三国協商側) です。

(三国同盟側であるはずのイタリア🇮🇹は、第一次世界大戦に関しては当初中立国の立場でした。後に裏切ります。)

第一次世界大戦はなぜ起きたか?
  1. 軍事力を持った欧米主要国が、アフリカや太平洋地域に侵攻して植民地を獲得しようとした帝国主義が高まる中、ときに植民地獲得を巡って衝突が起き、イギリスを中心とする三国協商と、ドイツを中心とする三国同盟の二大陣営に世界は分かれていった。
  2. そんな中ヨーロッパの火薬庫であったバルカン半島ではナショナリズムの高まりと、オーストリア・ロシアの帝国主義が混ざり合い、パン=ゲルマン主義とパン=スラブ主義が衝突していた。
  3. そのオーストリアがゲルマン系・スラブ系民族が居住していたボスニア・ヘルツェゴビナを併合してしまい、スラブ系民族の反感を買う。
  4. 立ち上がったのはスラブ系民族を多く抱えるセルビア。サラエボ事件を起こして、オーストリアがセルビアに宣戦布告。あとは三国協商・三国同盟など各同盟にもとづいて参戦して第一次世界大戦が始まる

第一次世界大戦の長期化

各国ともこの戦いを短期決戦で挑んだつもりでしたが、結局第一次世界大戦は4年間も続きました。

第一次世界大戦はドイツのベルギー侵攻から始まります。ドイツ軍はベルギーを進軍してフランスの首都パリへ向かいます。その第一線となったのがマルヌの戦いです。フランス軍がドイツ軍をくい止めたことで、パリの陥落は免れましたが戦争は長期化していきます。

ここが有名な「西部戦線」です。塹壕戦で膠着状態が続きました。

一方の東部戦線では、タンネンベルクの戦いでドイツ軍がロシア軍を破り、ロシアへと侵攻しますが、冬の厳しさで進軍は思うようにいきませんでした。

第一次世界大戦は、長期戦となり、各国が国家総動員で戦争のために動く総力戦となりました。

さらに航空機・毒ガス・戦車・潜水艦など、第一次世界大戦をきっかけに最新の近代兵器が数多く導入され戦死者を増やしました。

ちなみに日本は日英同盟を理由に第一次世界大戦に参戦しています。といってもドイツ領中華民国であった山東地方の膠州湾を占有しただけで、ヨーロッパ戦線には行ってません。

ヨーロッパ世界が第一次世界大戦でゴタゴタしている間に、1915年にこっそり中華民国に二十一カ条の要求を突きつけています。

第一次世界大戦中は、自国を有利にしようと秘密外交が盛んに行われました。

例えば1915年イタリアは中立国だったものの、英・仏・露が戦後「未回収のイタリア」を渡すことを約束したためイタリアは三国同盟から脱退。三国協商側につきます。

もう1つ悪名高いのがイギリスの三枚舌外交です。アラブ人、ユダヤ人、フランス・ロシアの3方に矛盾する宣言を出し、特に戦後アラブ人とユダヤ人との間での戦争を引き起こします。

・1915年 オスマン帝国の支配下にあったアラブ人に、アラブ人地域の独立支援を約束したフサイン=マクマホン協定

・1916年 英・仏・露で結ばれたオスマン帝国領の分割案を定めた、サイクス・ピコ協定

・1917年 イギリスがユダヤ人に対してパレスチナにユダヤ人国家を建国することを認めたバルフォア宣言

第一次世界大戦の2つの転換期

1つ目の転換期は1917年のアメリカの参戦です。

19世紀末にはイギリスを抜いて世界一の経済大国となったアメリカは、1823年からの孤立主義を貫いてヨーロッパの戦争には干渉せずにきました。

しかしドイツがイギリスなどの商船を無警告で攻撃して食糧難を引き起こそうとした、無制限潜水艦作戦を断行。これに巻き込まれたアメリカ人も出たため、アメリカはドイツに宣戦布告して第一次世界大戦に参戦しました。

2つ目の転換期は1917年のロシア革命です。長期化する戦争と、それを主導するロマノフ王朝に対する国民の不満は爆発し、再びロシア革命が起きます。これによって帝政ロシアは倒れ、国会議員が樹立した臨時政府と、労働者・兵士が樹立した革命組織ソヴィエトが並立する二重権力構造となりました。

結果的に臨時政府は倒れて、ソヴィエトが正式に権力を掌握します。主導者はレーニンで、国内を治めた後はドイツと単独講和ブレスト=リトフスク条約を結び、東部戦線は終結します。

ドイツは東部戦線に当てていた戦力を一気に西部戦線へと向けますが、そこには既に大国のアメリカ軍が配備されており侵攻は失敗します。

同盟国のオーストリアも休戦して、他の同盟国側の国々も停戦していく中、1918年にキール軍港でドイツ水兵たちが蜂起して、ドイツ革命が起きます。ロシア同様に、皇帝ヴィルヘルム2世が退位に追い込まれて帝政は終了します。

一時はロシア同様に社会主義革命が起きようとしましたが、こちらは臨時政府が権力を掌握してドイツ共和国の道を進みます。ドイツ共和国は、連合国側と停戦協定を1918年に結び、第一次世界大戦は終わりました。

キール軍港での蜂起から、停戦までわずか8日間の出来事です。ドイツ国民がいかに戦争を終わらせたかったか感じずにはいられません。

第一次世界大戦後の3体制

1919年 ヴェルサイユ体制

第一次世界大戦後、1919年にパリ講和会議が開かれ、ヴェルサイユ条約が結ばれます。

会議を主導したのは、アメリカ・イギリス・フランスの3カ国。ヴェルサイユ条約はアメリカのウィルソン大統領が主張した十四ケ条(国際協調・民族自決など)を原則としました。

しかしウィルソン大統領の考えは理想主義だとも捉えられ、イギリスのロイド=ジョージ、フランスのクレマンソーなどは敗戦国を許さず・植民地の既得権益を維持しようとしたため、ドイツには多額の賠償金を課し、民族自決の原則が適応されたのは一部の東ヨーロッパの国々だけで、アジア・アフリカの独立は冷淡に無視されました。

この第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制は、ナチスドイツを生み出し、中国・朝鮮での五四運動・三一独立運動などアジアでのナショナリズムを高めます。

ヴェルサイユ条約とは
  1. 国際連盟の成立(世界平和を求めて設立された国際機関。本部はスイスのジュネーブ。ドイツ・ロシア・アメリカなどは後から参加しました)
  2. ドイツ植民地の放棄(ヴェルサイユ条約では中国の山東地方は日本のものと認められ五四運動が起きます)
  3. ドイツ領域下だったアルザス・ロレーヌ地方をフランスへ委譲
  4. ドイツ軍の縮小(陸軍は10万人以下で徴兵制禁止。空軍は禁止!など。多くの兵士が職を失い、右派組織・政党が多数生まれました)
  5. ドイツ西域 ライン川流域のラインラントでの非武装化(フランスに近いドイツ地域では軍を動かすことが禁止されました)
  6. ドイツへの多額の賠償金 1320億金マルク(当時のドイツ国家予算の約20年分)

1921-22年 ワシントン体制

ヴェルサイユ条約ではヨーロッパ中心の出来事については話し合われたものの、中国・太平洋地域については放置されていました。

山東地方の領有など、日本がアジア・太平洋地域で力をつけてきていることを危惧した、アメリカのハーディング大統領が、ワシントン会議を開きます。

アジア・太平洋地域でのWW1後の国際秩序をワシントン体制と呼びます。

九カ国条約にて、日本の山東地方の権益を破棄させられます

海軍軍備制限条約にて、米・英・日・仏・伊はそれぞれ5:5:3:1.67:1.67の割合で主力艦を保有することを決めました。
(また1930年のロンドン会議では、補助艦の制限割合も決まり、アメリカ・イギリス・日本はそれぞれ10:10:7となりました)

海軍軍備制限条約で主力艦(2万トンを超えるような大型船)の制限が決まったものの、それよりも小さい補助艦は軍縮の対象外であったため各国は最新鋭の補助艦を作ろうと飛びつきました。条約の抜け穴を埋めるために行われたのがロンドン会議です。

ロカルノ体制

1925年には、ヨーロッパ地域限定国だけで、ドイツと国境を接するフランス・ベルギー間の国境の現状維持・不可侵を定めたロカルノ条約が結ばれます。

これを条件にドイツは国際連盟への加入を認められます。(ただし賠償金については変わらず)

第一次世界大戦から第二次世界大戦へ

1919年のヴェルサイユ条約から、1939年の第二次世界大戦開戦までのわずか20年。

人類は国際協調の道を歩もうとしました。しかし歪みはまだいたるところに存在しています。

多額の賠償金を課せられ、海外植民地もすべて放棄させられたドイツ国内では右派組織・政党が台頭しはじめて、ヒトラーを生み出します。

第一次世界大戦に借金をしてまで戦争したヨーロッパ諸国。金を貸したのは孤立主義を前半貫いていたアメリカです。アメリカは第一次世界大戦後、最大の債権国となりました。逆に言うと、アメリカの経済が急落した瞬間に世界恐慌がやってくるのです。

またロシアでは第一次世界大戦中に革命が進行し、世界初の社会主義国家であるソ連が成立します。資本主義社会 vs 社会主義社会の対立が生まれます。

これらの火種が第二次世界大戦へと導かれていくことになります。

10分でわかる世界史Bの流れ!近現代ヨーロッパ(3)〜ファシズムの台頭〜

2019.05.19