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ドイツ以外のヨーロッパ地域でも、宗教改革!
【前回までのあらすじ】(4)ルターから始まる宗教改革
スイスの宗教改革
1517年に神聖ローマ帝国で始まったルターの宗教改革の流れは、スイスにも影響を与えました
スイスのチューリッヒ(地名)にて、ツヴィングリが1523年から宗教改革を始めました。が、ルターとの協力が叶わずカトリック派との戦いで戦死してしまいます。
しかしスイスの各都市では依然として宗教改革に熱心でした。
そんな中で新たな宗教改革者カルヴァンが1541年からスイスのジュネーブ(地名)にて改革を始めます。
カルヴァンはジュネーブに招かれて厳格な宗教改革を行い、次第に政治権力にも影響を与えて実質的な支配者となります。ジュネーブでは古代メソポタミアと同じく、宗教が政治に影響を与える神権政治が行われたのです
カルヴァンの思想 ー予定説ー
カルヴァンの思想は彼の著書「キリスト教綱要」に書かれています。具体的なカルヴァンの思想は聖書第一主義と予定説です
カルヴァンは神は絶対的な権力を持っていると主張しました。神様の主張は全て正しく、神の教えが詰まった聖書も全て正しいという聖書第一主義(福音主義)です。
ここまではルター的な思想なのですが、予定説はカルヴァン特有の思想で非常に重要です
予定説とは、「あなたの魂が救われるかどうかは予め(あらかじめ)神によって決められている!」ということです。どんなに信仰しても、どんなに善行を積んでも全く関係ない。てめぇが天国に行くか地獄に行くかは生まれる前から決められている、とカルヴァンは言うのです。神の意志は絶対的ですからね。
では人間は現世で何をすれば良いのでしょうか?祈っても、善行を積んでも、悪いことをしても救われるかどうかは生まれる前から決まっているなら現世では何もしなくて良いのでしょうか?
しかしカルヴァンはこの問いに対し「働け!」と言います。ニートは認めません笑
職業とは絶対的な神から与えられた天職であり、その天職を全うして働き、お金を稼いで貯めることがカルヴァンによって推奨されました。
この考え方は多くのキリスト教徒にとって衝撃的でした。カトリックではお金を貯める(蓄財)ことを認めてはいませんからね。お金が余ったら教会に寄付しなければならないのです。中世で金融業が嫌われたのは、こういう思想が背景にあります。「金で金を生む」仕事なんて言語同断というわけです。
ところがカルヴァンはお金を貯めることが神への服従を示すのだと主張します。この考え方は多くの商工業者に受け入れられました。当たり前ですが、みんな本音ではお金持ちになって現世で良い暮らしがしたいのです。
カルヴァン派のヨーロッパへの普及
カルヴァン派はスイスだけにとどまらず、16c後半にはフランス・ネーデルラント・イギリスへと広まっていきました。(ちなみにルター派はドイツ・北欧)
この2つの宗派のようにカトリック(旧教)に対抗する宗派の総称をプロテスタント(新教)と呼びます。
カルヴァン派の新教徒は各国によって呼び方が異なります。
イギリスでは「ピューリタン」、フランスでは「ユグノー」、ネーデルラントでは「ゴイセン」と呼ばれました。
イギリスでの宗教改革
このように多くの国でルター派やカルヴァン派など反カトリックの宗教が普及していく中で、イギリスではまた違った流れが生まれました。
政治的な理由で、新たな宗教「イギリス国教会」を作ったのです。
イギリスで宗教改革を始めたのは、国王ヘンリ8世です。彼は自分の妻が後継者となる男の子を一向に産まないことので、離婚しようと決めました。
しかしローマ教皇は、神との誓いを破る行為である離婚を認めません。このことに腹を立てたヘンリ8世は、カトリック世界から離脱して新たな教会組織、イギリス国教会を作ります。
1534年にイギリス国教会を認める法律、首長法(国王至上法)を定めてイギリス国王が教会のTopだと決めました。そして、修道院を廃止して広大な土地財産(修道院跡地)を没収して、その土地を貴族に与えます。
ただ、イギリス国教会の具体的な教義についてはヘンリ8世の退位後に行われました。
エドワード6世が、教義面での制度を整えたのにも関わらず、
メアリ1世が、突然カトリック回帰を行って新教徒を弾圧しましたが、
エリザベス1世が、1559年になんとか統一法を制定してイギリス国教会を確立しました。
カトリックの対抗宗教改革
ルターの九十五箇条の論題以降、新教徒の宗教改革が盛り上がっていますが、旧教であるカトリック側も指をくわえて黙っていたわけでは当然ありません。
信者の流出という問題に向き合って、宗教改革を行います。カトリック側の宗教改革を、対抗宗教改革といいます
1545年 トリエント公会議
1545年にトリエント公会議が開かれました。当初は新教・旧教との調停が目的でしたが、新教徒側がほとんど参加しなかったためカトリックの思想を再確認するための場で終わりました。
教皇こそがTopであるという教皇の至上権を再確認したり、反カトリック的な書物の閲覧・所有を禁ずる禁書目録の制定が行われました。
イエズス会の海外布教活動
対抗宗教改革の中、カトリックの勢力拡大に貢献したのがイエズス会です。イグナティウス・ロヨラが結成し、海外への布教活動に熱心に取り組みました。日本でフランシスコ・ザビエルが宣教活動を行ったのもこの流れからです。他にも、中国ではマテオ・リッチが布教活動を行いました。
イエズス会の布教活動の結果、南ヨーロッパの多くの国では新教の普及が阻まれ、カトリック教が支持されました。
激化する新教・旧教の宗教対立
<魔女狩りの様子>
この対抗宗教改革によって旧教・新教の対立はますます激しくなり、宗教戦争が各地で起きます。(シュマルカルデン戦争・ユグノー戦争・オランダ独立戦争・三十年戦争など)
注意してほしいのは、宗教戦争といっても次第に権力争いや土地・資源を巡った争いになるということです。あくまで宗教的な対立は、戦争の建前ですから。
さて言うまでもないですが、この時期「魔女狩り」が盛んに行われます。中世のイメージが強い魔女狩りですが、実際は近世である1600年頃が最も盛り上がった時期です。
新教側・旧教側問わず、「魔女」という非科学的な存在を信じて10万人以上の人が処刑されました。