10分でわかる世界史Bの流れ!近世ヨーロッパ(6)〜主権国家体制の形成〜

ヨーロッパでの主権国家体制が始まる!

【前回までのあらすじ】(4)ルターの宗教改革 (5)カルヴァンの宗教改革

ルターが神聖ローマ帝国で、カルヴァンがスイスのジュネーブで始めた宗教改革は、ヨーロッパ中へと広がった。

宗教改革によって中世で絶大な権力を誇ったローマ教皇の力が衰退し、代わりに各国の君主や国王が力をつけ始めます。そして産まれたのが「主権国家」という概念です

主権国家とは何か?

まず今回の重要なテーマである「主権国家」という言葉の意味について解説します。

主権国家とは他国との間に明確な国境線を引いて、国王のような主権(国内の強い権力)を持った者が統治する国家のことです。

近代国家の原型と言われていることから分かるように、現代の我々からすると「主権国家」という概念は当たり前すぎて、逆に何を言っているの?と思うかもしれません

他国との間に国境線があるのは当然ですし、国王・大統領などの主権を持った者が国を統治するのも今では当たり前です。

ですが、中世までのヨーロッパは封建社会です。他国との国境線はあやふやで、皇帝や国王も封建領主の1人に過ぎませんでした。

そんな封建社会も、百年戦争以降のイギリス・フランスや、価格革命以降のヨーロッパ各国で崩壊していきます。

そこで現れたのが主権国家という今に繋がる概念なのです。

主権国家体制の成立 -イタリア戦争-

そんな主権国家体制が成立したきっかけがイタリア戦争(1494~1559年)です。

分裂状態が続いていたイタリアを征服しようと、フランス(ヴァロア朝)が侵攻。これに当然、周辺国(スペイン王家、神聖ローマ皇帝、ローマ教皇、イギリス王家)は反発します

こうしてイタリア戦争が始まりました。

イタリア戦争の最中、神聖ローマ皇帝のカール5世がスペイン王を「カルロス1世」として継承し兼任したため、実質フランスのヴァロア朝VSドイツのハプスブルク家の争いになっていきます。

最終的にイタリア戦争は、1559年のカトー=カンブリッジ条約で集結し、フランスがイタリアから手を引くことで合意します。

このイタリア戦争は、戦争自体はそこまで重要ではなく、戦争が与えた影響のほうが非常に重要です!

イタリア戦争の影響1 フランス王家とハプスブルク家の対立

イタリア戦争以降、フランス王家とハプスブルク家(神聖ローマ帝国)の対立が18cの中頃まで続きます。

この2つの国同士の対立構造が、近世ヨーロッパの基本となっていきます。

例えば、30年戦争・スペイン継承戦争などでこの2国間の対立構造が崩れることはありません。

1756年の7年戦争で転記が訪れますが、詳しくは次回以降の記事で。

イタリア戦争の影響2 軍事革命による騎士の没落

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このイタリア戦争の時期は、ルネサンスの時期と重なります。

そのため、科学技術が発展し多数の軍事技術が生まれました。

鉄砲や、大砲などの兵器が導入されたため、馬にまたがり剣を振るう騎士の没落が決定的になりました。

騎士が没落したことで、各国は傭兵を積極的に雇用するようになります。

日本でも織田信長が、鉄砲を用いて長篠の戦い(1575年)で勝利を手にしましたよね。

イタリア戦争の影響3 主権国家体制が形成され始める

3つ目が極めて重要!イタリア戦争は主権国家体制が成立するきっかけとなりました。

この時期はイタリア戦争を始め、宗教改革・オスマン帝国の脅威・大航海時代による海外領土獲得など、他国から自国の領土が奪われることを明確に意識するようになった時代です。

このようにヨーロッパ中が緊張状態にあったため、各国は戦争後も軍隊を維持する常備軍を組織しました。(中世までは戦争終結後、軍隊は解散していた)

常備軍を組織すると莫大な軍事費がかかるため、各国は国民から税金を徴収するために官僚制を整え、国内の統一的支配を強めました。

その過程で、国境線が明確に引かれ、国を代表する君主が生まれ、主権国家体制が形成され始めました。

主権国家の形成期 -絶対王政の始まり-

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イタリア戦争以降、主権国家体制が整備され始めますが、いきなり現代の国家のような形にはなりません。

主権国家体制の初期段階では、絶対王政という強力な国王による統治体制がうまれました。絶対王政はスペイン・フランス・イギリスで発展しました。(具体的な各国史は次回解説します)

絶対王政の特徴1 王を支える2つの階級

絶対王政では強力な力を持った国王が存在するわけですが、この絶対王政を支えたのが領主階級有産市民層(ブルジョワジー)です。

領主階級とは、広大な土地を所有する聖職者や貴族などの特権階級のことです。封建社会が崩壊に向かっている中でも彼らの免税・封建地代などの特権はギリギリ維持されていました。

しかし、領主階級がいることで国王は国民を直接支配することができません。要するに、国王にとって領主階級は国民支配を妨げる邪魔な存在です。

そこで国王は有産市民層(商人・金融業者)を優遇し、彼らの社会的地位を上げて協力関係を築きました。

この領主階級と有産市民層(ブルジョワジー)の両者の力が拮抗した絶妙なバランスの下、絶対王政という強力な王権が維持されたのです。

絶対王政の特徴2 常備軍の組織

先程も説明しましたがヨーロッパ中が緊張状態にあったために平時(平和な時)でも軍を維持する、常備軍が組織されるようになりました。

国王が常に軍隊を持っているため、国外はもちろん、国内に対しても力を見せつけ反乱を沈めることができるようになります。

絶対王政の特徴3 官僚制の組織

国家を維持するためには、行政を請け負う役人集団。つまり官僚制を組織する必要があります。役人の主な仕事は、国民からお金を徴税し、予算を組んで、国家のためにお金をどう使うか考えることです。

絶対王政下では、国王の手足となって働きました。

絶対王政の特徴4 王権神授説

絶対王政を維持するための、国民の説得材料としてあてがわれたのが「王権神授説」です。特に、王の力に匹敵する力を持った諸侯に対する理論ですね。

簡単にいうと、「王である俺様が偉いんだぞ」ということを国民に認めさせるための方便として、王権は神から授けられた神聖不可侵な力であるため反抗することは許されない!

という理論です。滅茶苦茶ですが、当時の絶対王政を維持するためには欠かせない理論でした。

それくらい王の力が絶大だったということですね。

絶対王政の特徴5 重商主義

少し後の話になってしまいますが、絶対王政では「重商主義」が行われるようになります。

絶対王政を支える常備軍・官僚制を維持するためには、莫大な費用がかかります。他にも王を始めとする宮廷の豪華な生活もお金が湯水のように使われますからね。

絶対王政を維持するためには、豊富な財源が必要だと次第に意識されるようになったのです。

そこで国家が経済政策に積極的になったことを、重商主義と言います。つまり自国の経済発展を大事にしていこうという考え方です。

重商主義は、最初は海外植民地から金や銀などを持ち込み、金銀貨幣の獲得を重視する重金主義が行われます。スペインが代表的です。

その後、重商主義は輸出で外貨を稼ぐ貿易差額主義へと移行していきます。

10分でわかる世界史Bの流れ!近世ヨーロッパ(7)〜スペイン・オランダの繁栄〜

2016.07.07