2019年度「センター世界史B」を詳しく解説!僕の具体的な解答プロセスも。

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2019年度 センター世界史Bをわかりやすく解説

Histraceの読者のみなさま。センター世界史の受験お疲れ様でした。

自己採点してみていかがだったでしょうか?このサイトで読んで得た知識が、回答に役立って良い点数がとれていると嬉しいです。

さて今年も、センター世界史の解説やっていきましょう。

2018年度「センター世界史B」を詳しく解説!僕の具体的な解答プロセスも。

2019.01.04

2019年センター世界史Bの難易度とか所感

難問: 5. 7, 11, 20, 34(14点分)

普通:1, 3, 10, 14, 16, 22, 23, 24, 25, 26, 27, 29, 35(37点分)

簡単:2, 4, 6, 9, 12, 13, 15, 17, 18, 19, 21, 28, 31, 32, 33, 36(43点分)

常識:8, 30(6点分)

▪通史をなんとなく覚えただけで臨んだ人なら、普通レベル問題の半分ぐらいまで解けると思いますので6割。

▪真面目に世界史のポイントを整理してきた人なら、普通レベルを8割-9割とれると思いますので、8割。

▪めちゃくちゃ頑張った人が難問レベルの一部も正解して9割。

難易度的には去年と変わらず、比較的簡単な問題だったかと思います。ドイツのカメルーン獲得の問題と、インカ帝国の太陽の化身のやつはセンターレベルではないですね。ここは落としてもしょうがないです。

ハプスブルク家の領有地域と年号問題は、カール5世を絡ませたいい問題でしたね。

問1 解答 ③ 「普通:消去法」

おそらくカンボジアの人々がクメール人と呼ばれていて、アンコール=ワットがカンボジアにあることが結びつけば、すぐに解ける問題。

カンボジア(国)の人々=クメール人、というイメージがついてないとキツイ問題ですね。

他の選択肢は、比較的簡単なので、消去法でも解けますね。

①ヴェルサイユ宮殿を建てたのは、ご存知、ルイ14世です。あの豪華絢爛な宮殿と浪費家ルイ14世を結びつけて覚えて下さい。

②16世紀、1557年、オスマン帝国の最盛期のスレイマン1世の時代に建てられたのがスレイマン=モスクです。建設されたのは、もちろんオスマン帝国の首都イスタンブール(旧コンスタンティノープル。ビザンツ帝国滅亡後の1453年から、イスタンブールと呼びます)です。

タブリーズは、イル・ハン国やサファヴィー朝の首都となった都市で、今のイランに位置します。

スレイマン=モスクとオスマン帝国を結びつけて、そこから首都イスタンブールが思い浮かべば解けますね。

④アルハンブラ宮殿といえば、スペインに残る有名なイスラム建築ですね。レコンキスタに抵抗し続けた、イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝の建物です。

問2 解答 ④ 「簡単:正攻法」

これも正攻法で即答したい問題ですね。中国の全ての農民・宗教反乱はいつの時代か覚えておくのは基本です。

黄巾の乱は184年に起きた張角が主導した反乱で、後漢の衰退の一因になりました。だいたいの年号が頭に入っていれば、この時代は後漢(25-220年)の出来事だなと結びつけられますね。

他の選択肢はやや難しめなので、問題製作者も④と即答してほしくて作った問題かなと感じます。

問3 解答 ② 「普通:正攻法」

17世紀に起きた出来事を答える問題。

これは、大まかなイギリスの時代の流れと、一部の重要出来事の年号を覚えていれば解けます。僕はこういう問題こそセンターに増えるべきだと思います。世界史は流れがとにかく重要ですから。

まず起きた出来事順に並べましょう。①→②→③→④ですね。年号を並べられれば、あとはどこが17世紀のあたりか類推で解けます。産業革命は18世紀後半で、ピューリタン革命はその前に起きているはず。だから答えは②だなと解けます。

①:エドワード1世の模範議会は、イギリス議会制度の源流に位置します。

イギリス議会の最初は、ヘンリ3世が貴族に重税を行おうとして、シモン・ド・モンフォールを中心に貴族反乱が起き、王に議会を開かせることを認めさせたことが始まりです。

その次の王、エドワード1世は、先代ヘンリ3世から学んで、お金を調達するために1295年に模範議会を開いて、貴族と交渉します。

こうして13世紀という早い段階でイギリスは議会制度ができてきたことが世界史のポイントなので、覚えておいてほしいです。

②:イギリスのピューリタン革命は1642年から始まりました。これは覚えたい年号です。まぁ、イギリスの王政がゴタゴタした時期は17世紀だったなというのは覚えていたかと。

③:ジェニー紡績機は、1764年イギリスの産業革命の元となった、綿花の紡績機です。18世紀後半にイギリスの産業革命が起きたことは絶対に頭に入れておいてほしいです。

④:労働組合法が何年か?なんて覚えている必要はありません。ポイントは労働者が団結して、資本家に対抗しようと組合を作ろうとしている時代だということです。つまり産業革命でうまれた労働者という人々の後の出来事だと、瞬時にわかるのです。ちなみに1871年の出来事です。

問4 解答 ① 「簡単:正攻法」

韓国の三国時代が、新羅・百済・高句麗ですね。(ここを高麗にして間違わせる問題多そうです。)

えっ、これを三国時代の呼ぶの?と知らないと瞬時に解けなかったかもしれませんね。

問5 解答 ⑥ 「難問:正攻法」

冷戦時代の流れを理解しているか問う問題ですね。これも結構難しいですね。答えとしては

キューバ危機(1962年)→日中平和友好条約(1978年)→チェルノブイリ原発事故(1986年)の順番です。さて、これをどう導くか。

ポイントは、アメリカとロシアの大統領の順番です。

キューバ危機は、アメリカとロシアが最もバチバチだった瞬間です。この時の両者の登場人物は、ケネディとフルシチョフですね。この2人はすぐに出てくると思います。

次に日中平和友好条約。ここから思い浮かんでほしいのは、1972年のニクソン大統領の訪中です。長年、毛沢東の建国した中華人民共和国を認めてこなかったアメリカが、急に中国にすり寄ったのです。(背景はベトナム戦争の終結と、中ソ対立している中で、中国にすり寄ることでソ連を牽制することでした)

これに驚いた日本は、その後の1978年にすぐに中華人民共和国と国交を結びました。

最後にチェルノブイリ原発事故。これはもう最近の出来事です、というイメージを持っているかどうかなのかなぁと。これに対応したのはゴルバチョフで、米ソの対立も雪解けしかかっていた時代です。

さて、ケネディ・フルシチョフ→ニクソン→ゴルバチョフという、戦後史の主要人物たちの順番を、それに関連する3つの出来事から類推して解く問題だったかと思います。

最後のチェルノブイリ原発事故が1980年代と断定できるかどうかは、運かもしれませんね。(他にいい解き方あれば教えて下さい!)

問6 解答 ③ 「簡単:正攻法」

a:洞窟壁画の書かれた国名・場所名をあべこべにした問題ですね。フランスのラスコー、スペインのアルタミラです

b:始皇帝のお墓近くから、兵馬俑が出土。これは常識問題かなと。

問7 解答 ④ 「難問:消去法」

ポーランドの歴史について正しいものを答える問題。これは、消去法かな。戦後史をちゃんとやっていれば、④をすぐ答えられるかもしれませんが、難しいですね。

①驚くような発想のことを、”コペルニクス的転回”と言いますよね。16世紀まで地球を中心に天体は回っていると信じられていたのが、実は地球は太陽を中心に回っていた。これを地動説と言います。

なので、大胆な発想をしたコペルニクスが、従来の説である天動説を唱えるのはおかしな話です。

②コシューシコはポーランドの英雄です。プロイセンとロシアによって、第二回ポーランド分割が起きようとした際に、コシューシコは義勇軍を率いて対抗しました。これが彼が、英雄と呼ばれる所以です。

コシューシコは他国の戦争であるアメリカ独立戦争に義勇軍として参加しましたが、フランスのパリ・コミューンという他国の政権に参加するのはおかしいですね。

③この選択肢を消去できる人、あまり多くはないと思います。ポーランドの通史を一度おさらいしている人でないと。ピウスツキは、第一次世界大戦後のポーランドで1926-35年まで、クーデターで実権を握った独裁者です。

問8 解答 ② 「常識:正攻法」

んー、これは常識問題レベルですね。ホロコーストはいいとして、戦後ナチス・ドイツの幹部たちを裁いたニュルンベルク裁判も有名です。

問9 解答 ② 「普通:正攻法」

これは即答したい問題。ソ連の中でもめた、一国社会主義と世界革命論。

世界革命論を唱えたトロツキーと、一国社会主義を唱えたスターリンが権力争いを行い、最終的にスターリンが勝利して、独裁が始まります。

問10 解答 ② 「普通:消去法」

②:フランドル地方が毛織物業で発展したというのは知っている人も多いかと思います。ただイングランドから羊毛を輸入していたのか・・・。教科書には書いてありますが、ここまで確証をもって覚えている人は少ないと思います。なので、消去法で解く問題ですね。僕もあまり自信ありませんでした。

①:ノルマン人(正確にはデーン人)、デンマーク王であるカヌートが1016年に制服したのがイングランドです。

③スウェーデン王のグスタフ=アドルフが、参戦したのは三十年戦争ですね。神聖ローマ帝国側のヴァレンシュタインに敗れています。

④航海法がイギリスで制定されたのは、1651年のクロムウェルの時代です。

問11 解答 ② 「難問:消去法」

多分①と④は、知っている人は消せます。

①フォークランド戦争にてサッチャー首相が、アルゼンチンを攻めたのは現代史では有名です。

④スペイン継承戦争後の1713年のユトレヒト条約で決められたカナダのニューファンドランド島は、イギリスへ渡されました。

さて、②と③が問題ですね。僕は単純にドイツのアフリカ領有国を覚えていました。アフリカ分割時代、基本はイギリスとフランス領土が多いのですが、ドイツも少しだけ持っていました。それがカメルーンと、東アフリカの一部(現タンザニアあたり)と、南西アフリカの一部(現ナミビアあたり)です。

が、そんなの覚えているのはセンターレベルではないので、③を消せるかがポイントですね。

ホルムズ?どこだよ、となった人も多いと思います。アラビア半島、ペルシャ湾に入る入口がホルムズ海峡です。そこにある小さな島がホルムズ島です。今はイランの島ですね。

ここを領有したのは大航海時代のポルトガル人ですが、サファヴィー朝の最盛期王、アッバース1世によって駆逐されます。ポルトガル人だったか覚えていたかどうかですが、かなり難問かなと思います。

問12 解答 ③ 「簡単:正攻法」

マジャール人が、イングランドを征服???と多くの人がなったと思います笑

バイユーの刺繍画なんて知らなくても解けますね。他の選択肢も簡単なレベルなので、消去法でもすぐ解けますね。

問13 解答 ③ 「簡単:正攻法」

僕が金について説明した記事に書いております。完顔阿骨打&女真族。満州文字は、金以降の清のヌルハチが作った文字です。

問14 解答 ① 「普通:正攻法」

チンギス・ハンの功績について問う問題。

モンゴル帝国について書いた記事を読んでいれば即答ですね。ホラズム・シャー朝以外に、西夏もチンギス・ハーンの時代に滅ぼしています。

初代チンギス・ハーンの時代は、意外とメジャーではない国が滅ぼされていると覚えておくといいですね。

問15 解答 ③ 「簡単:正攻法」

オスマン帝国の侵攻を食い止めた、ティムール朝のアンカラの戦いについて問うた問題ですね。

プレヴェザと言われて思い浮かぶのは海戦なので、場所は一目瞭然すぐに解けたかと思います。

問16 解答 ③ 「普通:正攻法」

どちらかと言うと、正攻法で解くべき問題ですね。

イギリス東インド会社のインドの拠点地は、マドラス・ボンベイ・カルカッタ。

フランス東インド会社のインド拠点は、ポンディシェリとシャンデルナゴル。これも覚えておいてほしいですね。地名がフランス語っぽいので、選択問題ならすぐわかります。

問17 解答 ① 「簡単:正攻法」

ギリシャの歴史家ヘロドトスは、ペルシャ戦争を題材に歴史書を作りました。ギリシャ都市国家にとっての脅威はもちろん、アケメネス朝ペルシャですね。ササン朝ペルシャは時代が違います。

問18 解答 ① 「簡単:正攻法」

ユンカーといえば、プロイセンの貴族層のことですね。ビスマルクもユンカー出身なので、覚えておいてほしいです。

問19 解答 ③ 「簡単:正攻法」

これも即答ですかね。世界恐慌に苦しむフランクリン・ローズヴェルト大統領の行なった、ニューディール政策は、公共事業を政府が行うことで、雇用がうまれ、景気が上向くという考え方のことです。

その代表的な事業が、テネシー川流域開発公社の設立です。

問20 解答 ③ 「難問:正攻法」

②と④がすぐ消せますね。ギリシャはオスマン帝国、シンガポールは陸続きであるマレーシアから独立しました。迷うのは①と③ですね。これはやや難ですね。知っているかどうかだと思います。

ベトナム王朝であるれい朝、が独立したのは明。アフリカのモザンビークが独立したのは、ポルトガルです。

問21 解答 ① 「簡単:正攻法」

世界恐慌後、イギリスは保護貿易路線を取ります。各イギリス自治領である、カナダ・オーストラリア・南アフリカ連邦などを呼びつけてイギリス帝国の経済について会議したのがオタワ連邦会議です。

開いたのは世界恐慌後の1932年なので、以降貿易額が伸びているaがカナダです。

問22 解答 ② 「普通:正攻法」

米墨戦争と呼ばれる、アメリカ=メキシコ戦争。発端はテキサス併合というのは、テキサスが地理的にメキシコに近いことから覚えやすいかなと思います。

問23 解答 ① 「普通:正攻法」

スペインと神聖ローマ帝国を兼任したカール5世(カルロス1世)がaの地図から思い浮かびます。

もちろんハプスブルク家で、16世紀が最盛期とおぼえていれば、即答できます。

問24 解答 ④ 「普通:正攻法」

オスマン帝国についての問題。

WW1は、同盟国と連合国に別れます。要は同盟国が負け側で、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアです。オスマン帝国がWW1で負側だったと、なんとなく覚えていた人も多いと思います。

ちなみにWW2は枢軸国と連合国。

消去法でも解けるレベルですね。

問25 解答 ② 「普通:正攻法」

③はピューリタンたちなので即消せるとして、①④は難しすぎますね。

イスラム文化史である、イブン・バットゥータの「三大陸周遊記」を覚えているかどうかだと思います。

問26 解答 ① 「普通:消去法」

エジプトに建国されたイスラム教国、マムルーク朝について答える問題。消去法で解くのが普通ですね。

②:十字軍を破ってイェルサレム奪還したのは、英雄サラディンのアイユーブ朝。

③:北インドへ侵略を繰り返したと浮かぶのはガズナ朝・ゴール朝。

④:アナトリア(小アジア)に進出、ビザンツ帝国圧迫はセルジューク朝です。

問27 解答 ④ 「普通:消去法」

消去法の方が楽ですね。

①ピラミッドは古王国。

②教皇史上が再確認されたのが、トリエント公会議。ニケーア公会議は、古代ローマ帝国にて開かれた、アタナシウス派を正統とした会議のこと。ここらへんは整理しておきたいとこ。

③もちろん法家です。

問28 解答 ① 「簡単:正攻法」

ペロポネソス戦争は、ペルシャ戦争後のギリシャポリス間の内戦です。

アテネとスパルタが対立して、ペルシャはスパルタを影から支援し、スパルタを勝たせました。

問29 解答 ③ 「普通:正攻法」

ピピンの寄進(756年)について答える問題。年号を覚えているか、

カール・マルテル→ピピン→カール大帝の順番を覚えておいて、

カール・マルテルのトゥール・ポワティエ間の戦い(732年)、もしくはカールの戴冠(800年)を覚えていればその間のピピンの寄進は8世紀後半だと解けますね。

問30 解答 ③ 「常識:正攻法」

即答かと。

問31 解答 ① 「簡単:正攻法」

漢の時代の出来事を答える問題。

八王の乱と混同する方もいたかもしれません。三国時代を勝ち抜いた晋で起きた後継者争いが、八王の乱です。

まぁでも黄巾の乱と同様、中国の農民・宗教反乱をまとめていれば解けますね。

問32 解答 ④ 「簡単:正攻法」

朱子学でこれまでの「五経」に加えて「四書」が重視されるようになったのは、これまでこのブログでは結構強調してきたので解けたのではないかと思います。

問33 解答 ③ 「簡単:正攻法」

レオン3世が発布したのが、聖像禁止令。これも1問1答レベルですね。レオ3世とよばれることもあり、こちらはカール大帝に戴冠した人物もレオ3世とよばれており混同しやすいです。

問34 解答 ③ 「難問:正攻法」

a:太陽神ラーは、古代エジプトで信仰された神です。遊戯王やってれば解けます。笑

b:んー、これは何の作品を見ていれば解けたのでしょうか・・・?笑

昨年はキープの問題が出ていて簡単でしたが、正誤問題でこれは結構鬼畜ですね。

一応山川の教科書には、p76に「太陽崇拝が行われて、国王は太陽の化身とされた」と書いてありますが。正直、僕も馴染みが薄い問題でした。

問35 解答 ② 「普通:消去法」

ラス=カサスというスペインのドミニコ修道会の聖職者が、インディアンたちが非常に劣悪な環境の中働かされていることを訴えたことは、私文受けるなら知っておいてほしいですね。

センターレベルの知識であれば、消去法で解くかと思います。

①:ピサロが滅ぼしたのはインカ帝国。コルテスが滅ぼしたのがアステカ帝国です。僕は文字数が同じ、と覚えてます。こういう覚え方が一番記憶に残り、間違いが少ないです。笑

③ポトシ銀山。有名ですね。

④南アメリカ大陸の領有をめぐって、対立したのがポルトガルとスペインです。その中で結ばれたのがトルデシリャス条約です。

問36 解答 ③ 「簡単:正攻法」

第二次世界大戦終結以前に起きたことについて、正しいものを選ぶ問題。

ピカソの「ゲルニカ」が、スペイン内戦の中、ドイツ軍の爆撃によって苦しむ人々を描いたのは有名です。もちろん爆撃指導者はヒトラーなので、これが正解です。