2018年度「センター世界史B」を詳しく解説!僕の具体的な解答プロセスも。

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2018年度センター世界史Bをわかりやすく解説

もうすぐセンター試験ですね。
ということで、去年の振り返りのためにも、2018年度のセンター世界史Bの解説をしていきたいと思います♪

普段はセンター世界史の解説記事をUPしています。よろしければ、こちらのリンクをご参照下さい

センター世界史B 2018年度の問題はこちら(pdfファイル)

センター世界史の解き方は当たり前ですが、正攻法か、消去法で解くことになります。
各問題が、どちらの手法で解くべきなのか、ざっくり大別しているのでご参考に。

●解き方
・正攻法:4つの選択肢の中から、正解(誤っている)のものを瞬時に判断できる問題
・消去法:4つの選択肢の中から、正解(誤っている)のものを3つ消去して、答えを導き出す問題

2018センター世界史の難易度とか総評

解説に入る前のざっくり総評としては、結構簡単な問題も多く、楽な年だったのではないかと思います。

ざっくり問題ごとに難易度分けするとこんな感じですかね。

難問: 4, 22, 23, 31, 36 (14点分)

普通:1, 3, 5, 6, 7, 9, 11, 13, 15, 17, 20, 25, 26, 32(39点分)

簡単:2, 8, 10, 12, 14, 16, 18, 19, 21, 24, 27, 28, 29, 30, 35(41点分)

常識:33, 34(6点分)

教科書を読んで通史をなんとなく頭に入れて、用語集やって終わった人なら、6割くらい。

結構真面目に世界史に取り組んだ人なら、8割。

めちゃくちゃ頑張った人が、9割取れる構図かなと思います。

まぁ、真面目にやれば8割とれる問題の作り方は、きちんと差がついて良い感じだと思いますね。

ちなみにこの年の社会科目の平均点は、67.97点!受験者数は日本史、地理に比べて圧倒的に少ない9万人前後なのが悲しいところですが、平均点は日本史より高くて良いですね。僕としては1人でも世界史を学んでよかったと思ってほしいところです。

問1 解答 ② 「普通:正攻法」

金で猛安・謀克もうあんぼうこくという制度を覚えていればすぐ解けます。もともとは部族時代の軍事組織の役職名で、それが金の時代にも引き継がれて行政組織として継続されたものです。

猛安・謀克は、中身が難しいのであまり覚えていない人も多かったかと思いますが、マンサブダール制も十分難易度高いので消去法は難しかったかと。

①ちなみに領邦教会制は、16世紀のドイツにルター派諸侯が教会を所有したこと。

③マンサブダールは、ムガル帝国のアクバルが行った階級制度。

④骨品制は、新羅で行われた身分制度です。

初っ端からなかなか難易度の高い問題です。

問2 解答 ② 「簡単:正攻法」

ローマの平和(パックス・ロマーナ)時代について起きたこととして、誤っているものを答える問題。

パックス・ロマーナはアウグストゥスの即位から、五賢帝までの前20〜180年くらいの200年間のローマの平和な時代のことです。紀元前と紀元後をまたぐので覚えている人も多いかと。

ローマ法大全は、6世紀の東ローマ帝国のユスティニアヌスが編纂させた法典であることを覚えていればすぐに解ける簡単な問題ですね。

問3 解答 ③ 「普通:正攻法」

これは他の選択肢に惑わされずに正攻法で正直に解いたら正解という問題。

ポルトガルの現首都がリスボンであることを知っていれば、香辛料貿易とすぐに結びついたはず。

①北イタリア地域であるフィレンツェで羊を放牧してそうだな〜と思えば、毛織物業と結びつかないかなー。笑

④第四回十字軍が占領したのは、地中海沿岸のコンスタンティノープル。

問4 解答 ③ 「難問:消去法」

どちらかといえば、消去法かなぁ。フランスのローランの歌は騎士道物語として有名ですが、カール大帝時代を題材にしていると断定できる受験生は少なかったのではないかと。

①ラーマーヤナはインド時代に習うのでそのイメージがあれば、間違えないはず。

イリアスはオデュッセイアと同様ホメロスによるギリシャ文学。

ギルガメッシュ叙事詩は、古代メソポタミア文明のシュメール人の時に出てくる文学。かなり初めの方に出てくるので印象にも残っているはず。

問5 解答 ② 「普通:消去法」

ピンポイントでヘンリ2世について答える問題。

ヘンリ2世って、誰だっけとなったら青ざめそうな問題。

イギリスのノルマン朝の次に、1154年にプランタジネット朝を開いた初代王です。本人はフランス貴族出身というややこしい人物です。

マグナ=カルタを認めたのは、失地王であるジョン王の時代。シモン・ド・モンフォールの反乱は、ヘンリ3世の時代。同じプランタジネット朝時代の出来事が3つもあるので、この時代を整理できているかが問われていますね。

10分でわかる世界史Bの流れ!中世ヨーロッパ(8)〜イギリス・フランスでの王権強化〜

2016.06.06

問6 解答 ① 「普通:消去法」

インカ帝国が、縄(キープ)で情報伝達を行ったことを覚えていれば即答できますが、どちらかと言えば消去法ですかね。ただ以下3つ、どれもいやらしい所をついてきておりやや難問といえます。

② 満州人で構成された清朝の軍隊は、八旗です。対して、漢人で構成された軍隊を緑営といいます。

③オスマン帝国が近代化を歩むきっかけとなったのがギョルハネ勅令です。が発令したのはアブデュル=メジト1世です。

④日露戦争中に行われた第一次ロシア革命に対して、公布したのが10月宣言です。公布者はニコライ2世で、アレクサンドル1世とは時代が100年くらい違うので、これは分かってほしい選択肢。

問7 解答 ④ 「普通:消去法」

ん〜、ヒヴァ=ハン国???と多くの受験生がなったであろう問題ですね。
他が簡単なので、消去法でいきたいです。

①ササン朝ペルシャのホスロー1世が滅ぼしたのはエフタルです。大月氏と関わり深いのは漢の武帝が派遣した張騫ですね。

冒頓単于の下、匈奴が全盛期を迎えました。

③インドのヴァルダナ朝が統一したのは、北インドです。

問8 解答 ③ 「簡単:正攻法」

春秋の五覇は、世界史教師なら誰でも説明すると思いますので、それを覚えていればすぐに解けるかと。正攻法ですぐに解けますね。

澶淵の盟は、宋と遼の間の取り決め。
②土地を支給された成人男性に税を課したのは、均田制。時代は同じ唐ですが、両税法は玄宗が楊貴妃に入れ込んで、政治が混乱した後に制定されました。
④ん〜、引っ掛け問題。明の時代に「湖広熟すれば天下足る」と称されたのは間違いないですが、それは長江中流域の話。長江下流域は、「江浙熟すれば天下足る」と称されたのは宋の時代の話。

問9 解答 ③ 「普通:-」

a: 司馬遷の「史記」しかり、班固の「漢書」しかり、漢の時代の歴史書は紀伝体で書かれています。
編年体が出てくるのは、宋の司馬光「資治通鑑」です。

b: ラシード=ウッディーンの集史。これは正ですね。

問10 解答 ① 「簡単:正攻法」

シク教について正しいものを答える問題。ヒンドゥー教の一派として、16世紀にナーナクが創始しました。

まぁ、簡単な問題かと。

問11 解答 ④ 「普通:地理問題」

ハラッパーは、モヘンジョ・ダーロとともに古代インダス文明の遺跡が残る場所なのでこれを選ぶのは論外。

ってことで、パータリプトラがマウリヤ朝の首都となりますね。初めてインドの大半と統一した王朝であるマウリヤ朝から、グプタ朝、ヴァルダナ朝と、ガンジス川で興隆した国家です。

そしてガンジス川はインド東部の川なので、bが正解と導きます。左側はいわずもがな、古代文明がさかえたインダス川です。

問12 解答 ③ 「簡単:正攻法」

んー、簡単ですね。太平天国の乱を清朝が鎮圧できずにいる中、鎮圧に参加したのが外国義勇軍のゴードンとウォード。あとは漢人官僚の義勇軍を率いる曽国藩や李鴻章も参加しました。

問13 解答 ④ 「普通:正攻法」

これも簡単ですね。19世紀末のフランスで起きたのがドレフュス事件です。ブーランジェ事件とともに、やっと第二帝政から共和政に移行できたフランスを、揺るがす危険があった事件です。

問14 解答 ① 「簡単:正攻法」

これもすぐに間違いに気づいて欲しい問題です。乾隆帝が、ヨーロッパ船の来航を限定したのは広州です。

かつて唐の時代に市舶司が置かれ、貿易の街として発展しました。後のアヘン戦争にもつながる、重要な場所です。

問15 解答 ② 「普通:消去法」

ウィリアム・シェイクスピアが生きた1564〜1616年(16〜17世紀)について正しいものを答える問題。

①ラッダイト運動は産業革命後に起きているはずなので、18世紀後半以降のはず。

③ウォルポール首相とあるように、イギリスに議院内閣制が起きたのはハノーヴァー朝の初代王ジョージ1世の18世紀。

④グラッドストン内閣、なのでウォルポールの後なのはいわずもがな。19世紀。

ということで、他の選択肢がかなり時代が離れている&年代を予測しやすいので、消去法で2番を導きやすい問題かと思います。もちろん、すぐに2番を選べればそれで良いのですが!

問16 解答 ② 「簡単:正攻法」

これもすぐに解いてほしい問題。18世紀にアラビア半島で起きたイスラム改革運動で起きたのがワッハーブ派。シーア派の主流である十二イマーム派とは時代が違います。

ワッハーブ派は18世紀にサウード家に保護されて、ワッハーブ王国を建国。現在のサウジアラビアもサウード家&ワッハーブ派です。

問17 解答 ④ 「普通:正攻法」

ん〜、どちらかと言えば正攻法で解くべき問題ですかね。消去法で解く場合、みんながあまりカバーできていないであろう東アジア近代史の②が障害となってしまうような気がします。やや難問ですね。

カージャール朝は、1796-1925年まで続いたイランにおけるトルコ系王朝です。イランと言えば1501-1736年までシーア派のサファヴィー朝が統治していたこともあり、シーア派国家です。

そのシーア派内部で産まれた新しい流派が、バーブ教でした。バーブ教は貧困層に支持されて、カージャール朝に対して武装蜂起を起こしますが、残虐な方法で鎮圧されます。

①431年に東ローマ帝国にて開かれたエフィソス公会議にて、異端認定されたのはネストリウス派です。
ウィクリフが異端認定されたのは、1414年のコンスタンツ公会議で、時代が全く違うのですぐわかるはず。

②イスラーム同盟が産まれたのは1912年のインドネシアです。宗主国オランダに対抗する、民族的な組織でした。

白蓮教徒の乱は、清朝衰退の始まりの時期である19世紀初頭ころに起きた反乱です。(元末の紅巾の乱を、白蓮教徒の乱という場合もあります)

問18 解答 ② 「簡単:正攻法」

bは常識問題ですね。北緯38度線以北は現在の北朝鮮なので、アメリカが占領下に置くわけない。北はソ連です。

aはWW1後のヴェルサイユ体制のことを指してますね。ドイツにめちゃくちゃな賠償金を課したあげく、払えないからとヨーロッパ最大の炭鉱があるルール地方をフランスは占領しました。

問19 解答 ① 「簡単:正攻法」

②と④が常識問題としてすぐに消せるとして、③は???ですね。僕も知りませんでした。汗

クトゥブ・ミナールは、デリー・スルタン朝のアイバクが立てたインド最古の塔みたいです。教科書にも載っていました。

これは知らないとして、①は出てきて欲しいところです。新羅は中国の唐の影響を受けており、その時代に仏国寺も建てられました。

問20 解答 ① 「普通:消去法」

まず12世紀から14世紀にドイツ人が大規模な植民を行ったことを、東方植民といいます。

スラブ人地域の人々のドイツ化を推し進めた活動です。エルベ川以東であることは、単純な記憶しているかどうかですね・・・。

イ, でキエフ公国を選ぶのは時代的にありえないかと。キエフ公国は、9世紀に南ロシアで建国された国家です。まぁ、後のプロイセン王国まで結びつくブランデンブルク辺境伯領がこの運動でうまれたことを覚えていれば、それはそれですぐ解けますね。でもここは消去法が普通かなぁと。

問21 解答 ④ 「簡単:正攻法」

これは正攻法でいきたいですね。カルロス1世はドイツでは”カール5世“と呼ばれ、ハプスブルク家の全盛期に神聖ローマ皇帝に選出されます。

問22 解答 ④ 「難問:消去法」

北欧地域のデンマークは、1864年にビスマルクのプロイセン王国と戦って破れています。(デンマーク戦争)これによって現ドイツ領のシュレスヴィヒ地方を奪われています。

即答で④を答えられる人は、なかなか少数派だと思います。なので消去法で解く問題ですね。

①ハンガリー王国といえば、マジャール人です。現在も”Hangary”はただの英語名で、ハンガリー語では自分たちのことを”Magyar”マジャールと今でも自称しています。

カルマル同盟は、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3国で1397年にハンザ同盟に対抗する北欧同盟として結ばれました。

③まずハノーヴァー朝は、イギリスの王朝なので間違いとすぐに分かります。ポーランドといえばヤゲウォ朝ですね。

問23 解答 ③「難問:消去法」

ん〜〜〜〜、圧倒的知識問題!!首都を覚えているか覚えていないか、全てはそこに帰属します。

メキシコ高原にさかえたアステカ王国は15世紀に首都をテノチティトランとしてさかえました。その後、スペインのコルテスに滅亡させられますね。テノチティトランの廃墟の上に作られたのが、現在のメキシコの首都メキシコシティです。

単純に①と②は割と簡単な首都ですね。

①アケメネス朝は、ダレイオス1世の統治下で王の道が整備されました。その出発点が首都スサなので、覚えておいてほしいところです。

②イベリア半島にて、イスラーム勢力である後ウマイヤ朝が侵入して首都としたのがコルドバ。現在でも、カトリック教徒の国であるスペインでありながらイスラムの文化が残る貴重な街です。

④古代オリエントを初統一したのがアッシリア王国。首都はニネヴァ。まぁ私大受ける人レベルかなと思います。

問24 解答 ② 「簡単:正攻法」

WW2の時期に起きたことを答える問題。

これは正攻法ですぐ解いてほしいですね。長らくヨーロッパ諸国に対して孤立主義を貫いてきたアメリカが、ついにイギリスやソ連など連合国側に肩入れしたのが武器貸与法です。フランクリン・ルーズベルトの時代に行われました。

問25 解答 ② 「普通:正攻法」

これもややこしい部分ですが、即答問題ですかね。

ドイツ北部の都市リューベックが盟主だったのは、ハンザ同盟です。ロンバルディア同盟とは北イタリアのミラノを中心に結成された、対神聖ローマ帝国の同盟です。

時代も近いので整理して覚えておいてほしいところです。

問26 解答 ② 「普通:消去法」

これぞ消去法問題!と感じますね。正解は②なのですが、王安石の財政改革の法律の数々の目的まで理解している人はほぼいないはずです。

①推進者は王安石ですね

③当時の宋にとっての脅威は遼です。西遼は、宋が金と手を組んで遼を滅ぼした後にできる国です。

④宋の時代は文官が力を持った文治主義。それを持って政治抗争が多そう!と東林派と非東林派の争いと結びつけちゃいそうになるひっかけ問題ですね。東林派vs非東林派の党争は、明末に起きた宦官vs官僚の争いです。

問27 解答 ② 「簡単:年号問題」

出ました読み解き問題!まぁ、実質年号問題ですが。これは簡単でしたね。

a:WW1の年号ぐらい覚えているはず。1914-18年です。グラフでは1915年あたりにアメリカとの貿易額がイギリスとの貿易額を上回っているので、”正”です。

b:五・四運動は、WW1後のパリ講和会議で日本が占有した山東地方の返還が認められなかったことに反発した中国の民衆運動です。WW1直後だなと思いだして、1919年。

義和団事件は、まだ清末の出来事。西太后がこれを利用しようとしたのを思い出してください。ということで1900年。

ざっくり1900年を40,000、1919年を450,000と読み取るとその差は10倍以上!ということで”誤”ですね。五・四運動、義和団事件の推定時期が多少ずれてもまず間違えることはない問題です。

問28 解答 ① 「簡単:-」

難易度、普通な問題ですね。

a:スペインのエンコミエンダ制は、アメリカ大陸に入植したスペイン人が、インディアンたちを労働力として働かせた制度のことですね。

b:これはかなり有名な話なので割と常識問題かと。ヨーロッパから持ち込まれた天然痘・ペスト・インフルエンザなどが、先住民の間で猛威をふるい、多くの人々が亡くなりました。

問29 解答 ① 「簡単:消去法」

西山の乱???知らんぞ!となったはずです。笑 僕も知りませんでした。教科書にも見当たりませんが、用語集には載ってますね。ま、②③④が簡単なので消去法で解けます。

陳勝ちんしょう呉広ごこうの乱は、秦末に起きた中国最初の農民反乱ですね。

ジャックーの乱は、薔薇戦争中にフランスで起きた農民反乱です。ワットタイラーの乱がイギリスですね。ここはよく逆にして出るので整理しておいてほしいポイントですね。

ハイドゥの乱はモンゴル帝国で起きた、ハン位を争った後継者争いです。

問30 解答 ③ 「簡単:消去法」

18世紀のエカチェリーナ2世について答える問題。

①はフランス、②はアメリカ、④はイギリスについての記述なので、速攻で③と答えてほしいところです。

問31 解答 ③ 「難問:年号問題」

戦後の、しかもアフリカ史の、しかもしかも年号問題。んー、これは難しいですね。

ルワンダはWW1までドイツ、WW1以降ベルギー、1962年には独立した国です。そしてルワンダ内戦は1990-94年に起きた、フツ族とツチ族の戦いです。かなりの現代史ですね。

少数派であるツチ族を、多数派であるフツ族が一方的に大虐殺され、100万人もの犠牲者(当時のルワンダの約20%の人口)が出たと言われています。

この大虐殺は、ベルギー植民地時代にフツ族とツチ族に明確に分けられたことから始まったと言われています。

問32 解答 ③ 「普通:正攻法」

WW1終結からWW2開戦までに起きた出来事を答える問題。まぁ、割と簡単でしょう。

モンゴル人民共和国が成立したのは、1924年です。中華民国がゴタゴタやっている間に、外モンゴル地方が独立して成立しました。

問33 解答 ② 「常識:正攻法」

スペインの歴史について答える問題。これも速攻問題!

イスラム勢力を排除するために、キリスト教徒らによってレコンキスタが行われました。

問34 解答 ③ 「常識:正攻法」

これも常識問題ですね。相対性理論で有名なドイツのアインシュタインは、ユダヤ人です。1933年にナチス政権ができると、すぐにアメリカに亡命。ドイツの原子爆弾の研究が進むことを危惧して、フランクリン・ルーズベルト大統領に対抗策として原子爆弾の研究開始を提言します。(ちなみに開発には一切関わっていません)

結果として、原爆はアメリカが開発に成功して、トルーマン大統領の決断で2つ日本に落とされました。

ちなみにアインシュタインは原子爆弾の実際の使用に関しては、かなり否定的でした。が、多くの原子爆弾開発の科学者は、圧倒的力をもつ原子爆弾の使用こそが戦争を終わらせて、多くのアメリカ兵士の命が救われると信じて疑いませんでした。

問35 解答 ① 「簡単:正攻法」

これも速攻問題かなと。辛亥革命によって孫文が、袁世凱に臨時大総統の職を譲って就任しました。

問36 解答 ④ 「難問:消去法」

これは、難しいですね。現代史ですし、出題も重箱の隅という感じです。ここは落としても仕方ないかなと思います。

①ドプチェクが自由化を推進したのは、チェコスロバキアです。

②アデナウアー首相のもと、西ドイツが大きく経済復興を遂げます。

③バグダード条約機構は、反共連合です。ソ連が結成したのはワルシャワ条約機構です。