10分でわかる世界史Bの流れ!近代ヨーロッパ(6)〜19cイギリスの自由主義政策〜

<イギリスの有名な時計台&大鐘、ビッグベンは自由主義の風が吹いた19cに建築されました>

産業革命の進展と労働者の権利

【前回までのあらすじ】(3)ナポレオンの栄枯盛衰 (4)産業革命 (5)ウィーン体制

19世紀初頭のナポレオン戦争をピット首相ネルソン提督の活躍でなんとか乗り切ったイギリスは、産業革命によって資本主義経済を成長させました。

資本主義の発達によってイギリスはより自由な経済活動を求めるようになり、自由を抑圧するウィーン体制からは1820年代頃から距離を置き始めます。こうしてイギリスでは次々と自由主義政策が行われることになるのです。

19世紀前半のイギリスの7つの自由主義政策

1824年 団結禁止法の廃止

産業革命以降、イギリスでは「労働者」が生まれて、労働者は資本家に対抗するために労働組合を組織するようになりました。

これに対してイギリスは政府は労働組合を禁止する、団結禁止法を1800年に制定します。

ですが1820年代のイギリスの自由主義政策の先駆けとして、団結禁止法は廃止されることになります。

1828年 審査法の廃止

続いて廃止された法律は、1673年から続いてきた審査法です。スチュアート朝のチャールズ2世の時代に作られた審査法は、カトリック排除のためにイギリス国教徒以外は公職に就けないように定めたものです。

自由主義の波はこの審査法も廃止しました。ただし、カトリック教徒は依然として公職に就けないままでした。

1829年 カトリック教徒解放令

審査法が廃止された年にカトリック教徒のオコンネルが議員に当選しましたが、先程の通り、カトリック教徒であるがゆえに議員として認められませんでした。

これに対してカトリック教徒が反対運動を行い、1829年にカトリック教徒解放法が制定され、ついにカトリック教徒でも公職に就けるようになりました。

オコンネルはアイルランド人なのですが、アイルランド人にはカトリック教徒は多く、イギリス国教会が多いイギリスと現代まで対立が続いています。この対立構造は、クロムウェルのアイルランド征服から始まりましたよね。

1832年 第一回選挙法改正

産業革命以降、イギリス社会は資本主義を発達させて産業資本家と労働者を産みました。また大規模な工業都市(マンチェスター・バーミンガム)などが生まれ、各地によって人口の偏りが生まれました。

その結果、選挙の区割り(この地域は、これくらいの人数が議員になれるよという決め事)は変わっていないため、人口が激減した地区でも多くの議員が誕生していました。おかげで議席がお金で買われたりしていたため、腐敗選挙区と呼ばれていました。

こういった産業革命以降生まれた選挙上の不公平を撤廃したのが第一回選挙法改正です。ホイッグ党によって実現されました。

この改正のおかげで産業資本家といった中産階層の人々も、政治に参加できるようになりました。(有権者数96万人)

第一回選挙法改正が行われた1830年代頃から、トーリー党は保守党、ホイッグ党は自由党と呼ばれるようになります。

1837年〜 チャーティスト運動

第一回選挙法改正で政治に参加できる人数が増えたものの、依然として財産制限選挙が行われていました。そのため産業資本家は政治に参加できても、労働者は参加できない状況です。

これに対して労働者階級は、普通選挙を求めてチャーティスト運動を起こします。彼らが求めた6ヵ条の要求を人民憲章と呼びます。

チャーティスト運動はかなりの盛り上がりを見せたものの、普通選挙はすぐには実現しませんでした。(イギリスでの普通選挙の実現は、1918年の第四回選挙法改正でのことです)

1846年 穀物法の廃止

産業資本家は産業革命以降台頭し、政治勢力にも参入し始めました。その中で産業資本家たちは、自由貿易主義を求めました。自由貿易とは、国が国内産業保護のために輸入品にかける関税をできるだけ最小限にしようという貿易です。(対義語は保護貿易です)

もちろん自由貿易で儲かるのは産業資本家たちです。関税が少なければ工業製品を他国に輸出して儲かるからです。

穀物法の廃止は、自由貿易主義の最たる例です。1815年に制定された穀物法は、ナポレオン没落後に大陸封鎖令が廃止されてロシアなどから安価な穀物が大量に入ってくるようになったため、イギリスの農家を守るために穀物に高い関税をかけるように決めた法律です。まさに保護貿易ですね。

産業資本家たちが自由貿易を求めるようになり、コブデンブライトの活躍により穀物法は廃止されました。

穀物法廃止の背景には1845年のアイルランドのジャガイモ飢饉があります。イギリス連合王国に併合されているアイルランドでジャガイモが取れなくなったことで、イギリスでの穀物価格は上昇。穀物輸入が自由化されれば、穀物価格は自然と下がる(神の見えざる手の理論)という声が高まり穀物法は廃止されます。

1849年 航海法の廃止

かつてオランダの中継貿易に打撃を与えた航海法ですが、自由貿易を求める声によって廃止されました。

ヴィクトリア女王時代のイギリス(パクス=ブリタニカ)

18世紀後半から始まった産業革命が進み、イギリスの経済はヴィクトリア女王の時代に最盛期を迎えます。特に産業革命から約100年後の19世紀後半には「世界の工場」とまで呼ばれ、イギリスは世界経済の覇者として存在しました。

この19世紀後半のイギリスがTOPに君臨していた平和な世界を、かつてのローマ帝国になぞらえてパクス=ブリタニカと呼びます。

1851年 ロンドン万国博覧会の開催

ヴィクトリア女王時代のイギリスの繁栄を見せつけるかのように、世界初の万国博覧会が開かれました。1851年の第一回ロンドン万国博覧会です。産業革命で発達したイギリスの技術力が世界各国に誇示されました。

また見学者数はなんと600万人!当時の人口・交通手段などを考えるととんでもない数字です。

19世紀後半の保守党と自由党

かつて国王の権威を認めようとしたトーリー党は保守党と呼ばれるようになり、議会の権威を重視したホイッグ党は自由党と呼ばれるようになります。

このイギリスの二大政党の政治家、保守党のディズレーリ・自由党のグラッドストンの2人が19世紀後半のイギリスの政治を形作っていきました。

1867年 第二回選挙法改正

保守党のディズレーリの提案によって、第二回選挙法改正が行われます。

第一回選挙法改正で中産階層の人々に選挙権が拡大されましたが、第二回ではさらに財産制限が緩まり、ほとんどの都市労働者たちが選挙権を獲得できるようになりました。(有権者数247万人)

1884年 第三回選挙法改正

自由党のグラッドストン内閣第三回選挙法改正を行い、農業労働者階級にまで選挙権を広げました。(有権者数440万人)

アイルランド問題について

アイルランド問題とはイギリスがアイルランドを征服したことに寄って生じた様々な問題のことですえ。アイルランドについて一度ここで整理しておきましょう。

アイルランドは、イギリスの西側にある大きな島です(北海道くらいの広さ)。かつて1649年にカトリック教徒が多いことから熱心なピューリタンであったクロムウェルから征服されてイギリスの事実上の植民地となります。

しかしアメリカ独立戦争・フランス革命などによってナショナリズムが高まると、アイルランドでも独立の運動が高まります。これに対して1801年にイギリスのピット首相は、アイルランドをイギリスに併合することで独立を阻止しようとしました。この時点でイギリスの正式名称は、「大ブリテンおよびアイルランド連合王国」となります。

アイルランドの多くがカトリック教徒であったため、審査法のせいで公職に就けずにいましたが、オコンネルらの尽力で審査法は廃止され、翌年にはカトリック教徒解放法も発令されましたよね。

1880年代には自由党のグラッドストンがアイルランドの自治権を認めようと、アイルランド自治法案を2度も議会に提出しましたが、いずれも議会から否決されます。アイルランドの自治が認められるのは20世紀になってからですね・・・