10分でわかる世界史Bの流れ!中世ヨーロッパ(3)〜封建制度と荘園制〜

中世ヨーロッパの基本制度、封建制度と荘園制を理解しよう!

みなさん、日本の武士はご存じですか?

彼らは主君に非常に忠実で、一人を主君にすえたなら二度と裏切らない絶対関係で結ばれていますよね。それが、日本人の美徳でもあり現在まで称賛されてきました。

彼らの関係は「御恩と奉公」と呼ばれていて、土地を与える側(主君)-与えられる側(武士)の主従関係がありました。これを封建制度と言います。

ヨーロッパにもこのような封建制度と似た制度がありました。同じく封建制度と呼ばれているのですが、少し日本とは形態が異なります。

ヨーロッパの封建制度とはどのようなものなのかを理解していきましょう!

ヨーロッパの封建制度とは?

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ヨーロッパの封建制度が生まれ始めたのは、ローマ帝国が滅び、ゲルマン人やノルマン人などが暴れまわった時代。つまりは、乱世です。ローマ帝国という巨大な民衆を守ってくれる力はもうありません。

古代から土地は人間にとって最も重要な財産でした。なぜならそこで穀物を育てることで農民は初めて生きていくことができるからです。

しかし、乱世となるとその土地を自力で守れるか非常に怪しくなります。蛮族に土地を強奪される危険性が高いのです。そこで土地を持っていた皇帝、諸侯、聖職者たちは自分の土地を守るために、家臣を雇います。

土地を所有している主君は、土地を家臣に貸し与える代わりに、自分の身や土地を守ってもらいます。
一方の家臣は、土地を授かりそこで生きていく代わりに、命がけで主君を守ります。
そしてこの関係は世襲され、長い期間続きます。

封建制度の起源 恩貸地制と従士制

このヨーロッパの封建制度の起源は、ローマ帝国時代の恩貸地制とゲルマン人の従士制が混じり合ってできたものです。(センターによく出ます)

恩貸地制とは、ローマ帝国崩壊直前の混乱期に、力のない平民の土地所有者がその地域の有力者に土地を受け渡した後に、その土地を借りて耕し続ける制度のことです。

なぜ農民がそんなことをするのかというとリスクヘッジのためなんです。世の中が混乱している時に土地を自分で守り切るのは難しく強奪されるリスクが高いのです。だから代わりに力のある地域の有力者に受け渡して土地を守ってもらい、農民は明け渡した土地を「借りる」形で土地を耕す形態が生まれたのです。

一方のゲルマン人の従士制とは、日本のように平民が自分の身を守ってもらう代わりに、その地域の有力者に忠義を尽くすことです。

双務的な契約関係だった封建制度

ここまでの封建制度は日本でも同じですよね!土地を仲介とした主従関係=封建制度です!

しかし!ヨーロッパの封建制度はここからが一味違います!ポイントは、双務的な契約関係であったことです。難しい言葉ですが、意味はすごく簡単です。

家臣は何人もの主君と主従関係を結んでよく、さらにその主従関係は「何をすべきで何をしてはいけないのか」あらゆることが事細かに決められていました。これを双務的な契約関係と呼びます

つまり他の家臣に浮気してもいい!けど「やっていいこと悪いこと」は契約で決められていたってこと!

日本では複数の主君に仕えると裏切りとみなされ切腹!さらに主従関係も信頼関係で結びついているので、契約関係というドライな感じではありません。
ですが、ヨーロッパでは複数の主君に使え、その関係は契約で厳密に定められてました。

同じ封建制度でもこのように違う。今の日本人とヨーロッパ人の道徳や倫理観に非常に結びついているような気がしますね。

中世ヨーロッパの荘園制とは?

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次に荘園制の解説です。次は、主君でも家臣でもない、その更に下の身分である農民に話が移ります。

主君や家臣は封建制度によって土地を所有しているので、領主と呼ばれます。
そしてこの領主が所有する土地を荘園と呼び、そこで働きに農民が集まってくるのです。農民は土地を持ってないので、一人でいたら餓死しちゃいますからね。

領主は農民を蛮族から守ってあげる代わりに、所有する土地で働くことを求めます。

荘園制での農地は3種類にわけられます。
1. 領主の直営地では、農民が賦役して土地を耕します。=労働地代
2. 数は少ないですが農民の保有地では、当然農民自身が土地を耕します。そこで取れたものは領主に貢納します。=生産物地代
3. さらに農民の共有地もありました。

領主の直営地で農作物を耕す人もいれば、自分の保有地・共有地で土地を耕す人もいたということです。
労働地代や生産物地代を課せられ、奴隷のように働かされた農民のことを農奴と呼びます。

農奴という名前からわかるように、荘園制下での農民の扱いはひどいものでした。

荘園内での農奴の扱い

農奴たちは、結婚税や死亡税などという、ふざけた税金を課せられていました。結婚税なんてひどいもんです。領主には初夜権というものが存在すると主張し、新婦と初夜を迎えたければ新郎は金を払え、さもなくば・・・という税金です。

さらに領主への地代に加えて、教会へも税金を払う十分の一税なんてのも。税金づくめで経済的に農民は悲惨な生活を送っていました。

職業選択の自由も、移動の自由も認められていませんでした

荘園はほぼ国から独立した1つの国家のような状態でした(長距離移動手段、通信インフラが無い中世の人間にとって自分たちの目に見える範囲だけが世界の全てですからね。)

農業や工業は全て荘園内で自給自足され、領主は国家の役人たちが荘園内の農奴たちに課税をかけるのを拒否する権利も持っていました。不輸不入権といいます。(大企業が、国から税金取られるのに対して拒否権を持っていたようなものです)

さらには領主たちは「俺様ルール」で、農奴たちを裁く権利も持っていました。領主裁判権といいます。

土地を基本単位とし、食べ物や工業製品といった衣食住を生成し、ルールも権利も義務も裁判権も課税権もあらゆるルールを敷くことができた領主。国家の力も及ばないので、やりたい放題だったことでしょう。農民には辛い話ですね。

中世ヨーロッパでの騎士道精神の発達

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日本の武士道のように、封建制度・荘園制が発達すると、主君に忠義を尽くすことを美徳とする騎士道精神が家臣側に産まれます。

不思議ですよね。でもこれ必然なんです。それは、主君の側に立てばわかります。

主君としては当然全ての家臣が自分に忠実に尽くしてくれれば良いのですが、長いこと世襲が続くとその信頼感は薄れていきます。裏切られて殺され土地を奪われるかもしれません。

そこで主君側が自分に尽くすものを讃え、騎士道(武士道)を持った立派な家臣だと褒める。周りの家臣にも、主君に忠義を尽くすことは良いことなのだという倫理観を埋め込めば、裏切り者がでる可能性が減るのです。

封建制度と荘園制度のまとめ

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まとめるとこんな感じですね。全ては中世ヨーロッパという混乱した世の中で生き残るために生み出されたシステムなのです。

10分でわかる世界史Bの流れ!中世ヨーロッパ(4)〜教会の東西分裂と聖職叙任権闘争〜

2016.06.06