10分でわかる世界史Bの流れ!近代ヨーロッパ(7)〜社会主義思想の始まり〜

19世紀にうまれた社会主義の歴史をたどる

【前回までのあらすじ】(4)産業革命(6)19cイギリスの自由主義政策

イギリスで産業革命が起こり、「労働者」と「産業資本家」が生まれました。機械を持たざる「労働者」たちは弱い立場に置かれており、抵抗するために団結して労働組合を作ったりしていました。

そんな中、産まれたのがこの記事のテーマである「社会主義」です。

社会主義思想の始まり

社会主義とは? -定義-

<対立する資本家と労働者。間に挟まれた消費者は平穏を祈るしかない>

これまでも、フランスのバブーフルイ=ブランの所で出てきていた「社会主義」という言葉ですが、今一度ここで定義しておきたいと思います。

社会主義とは、「資本主義が産み出す矛盾を解消するために、労働者にとって経済的に平等な社会の実現を目指す思想」です。19世紀前半のヨーロッパで生まれました。

イギリスの産業革命以降、資本主義が発達して、産業資本家たちは巨額の富を手に入れました。対して、産業資本家の下で働く立場の弱い労働者たちは搾取され続けていました。富の格差は広がる一方です。

幼い子どもや若い女性まで過酷な労働条件の下で働かされ、労働問題が続出します。そんな中で、社会主義は労働者の権利を守り、労働者と産業資本家の富の格差をなくし、経済的に平等な社会を実現しようと生まれた思想なのです。

まさに、資本主義と社会主義は光と影ですね。コインの裏表です。

具体的に社会主義者たちは、私有財産制の廃止・土地や機械を共有させて、経済的に平等な社会を求めます。

オーウェンの社会主義(イギリス)

初期の社会主義は、産業革命が起きたイギリスで生まれます。

イギリスの産業革命の波にのった産業資本家のオーウェンは綿工場の経営で成功する一方で、労働者の過酷な労働状況の改善のために社会を変えようとします。

労働組合の結成や、子どもの労働条件の法改正などに尽力します。

1833年 工場法の制定(イギリス)

オーウェンの尽力もあって、イギリスでは1833年の工場法で18歳未満が夜間に働くことを禁止しました。

サン=シモン、フーリエの登場(フランス)

オーウェンと同時代の初期社会主義者として、フランスのサン=シモンフーリエが挙げられます。

それぞれの手段で社会主義を実現しようとしますが、大きな成果は挙げられずに終わります。

オーウェン・サン=シモン・フーリエたち19世紀初頭の初期社会主義者たちを、後のマルクス、エンゲルスは理念も手段も確立されていない空想的社会主義だと批判しました。

ルイ=ブラン(フランス)

ルイ=ブランは、1848年のフランスの二月革命で活躍し、フランスの臨時政府に官僚として参画した社会主義者です。

労働者を守るために労働時間を短縮したり、失業者に働く場所を提供しようと国立作業場を作ったりしますが、四月普通選挙で社会主義派が大敗してからは、大きな政策を実行できずに終わりました。

プルードン(フランス)

<無政府主義者は黒旗がシンボル>

プルードンは、個人が自主独立することで国家をはじめとする全ての政治権力は不要だと唱えました。

こういった無政府主義(アナーキズム)を最初に唱えたのが、プルードンです。

社会主義の理論化による広がり

これまで紹介した社会主義者たちは、思想的には社会主義です。が、それぞれの思想はバラバラで定義が曖昧です。

そんな中、ドイツのマルクスエンゲルスは、資本主義の問題点を明らかにした上で社会主義を提唱し、明文化=つまり本にして出版しました。

これが労働者階級にウケて、社会主義運動は本格化していきます。

マルクス&エンゲルス(ドイツ)

社会主義の思想を体系的にまとめあげたのが、ドイツのマルクスエンゲルスです。

資本主義経済について徹底して分析して、資本主義社会が行き着く先は一部の資本家による富の独占と、格差の拡大だとして、社会主義経済への移行を提唱しました。(代表的な著書は「資本論」です。)

マルクスとエンゲルスの思想は、初期の社会主義者らを空想的社会主義と批判した一方で、自分たちの思想は科学的に体系化された科学的社会主義であると述べました。

マルクスとエンゲルスは、1848年には「共産党宣言」を発表し、社会主義経済の実現のため全国の労働者に団結を呼びかけます。これ以降、社会主義運動が徐々に激化していきます。

1864年 第1インターナショナルの結成

マルクスが指導者として、全国の社会主義に賛同する労働者をロンドンに集めて第1インターナショナルという国際的な労働者組織を結成します。

しかし無政府主義者であるバクーニン派たちと対立して内部が分裂しかかり、パリ=コミューンの敗北以降、労働運動に対する弾圧が激化して、解散させられました。

(パリ=コミューンとは、労働者階級が樹立したフランスの社会主義的な政府のことです。世界初の社会主義政権ということもあり労働者たちの期待は高かったのですが、パリ=コミューン崩壊によって労働運動は弾圧されます)

1860年代 ラサールによるもう1つの社会主義思想(ドイツ)

ドイツでは1840年代に産業革命が起こり、それと共に労働者がうまれて1860年代には社会主義運動が起こりました。

ドイツの社会主義を主導したのがラサールです。

ラサールの死後、ラサール派とマルクス派のベーベルたちは合同して、1875年にドイツ社会民主党を結成します。
(厳密には、1875年に社会主義労働者党が結成され、1890年に改名してドイツ社会民主党になりました。)

1878年 社会主義者鎮圧法の制定(ドイツ)

1878年にドイツ皇帝の狙撃事件が起きると、ビスマルクは社会主義者の仕業と断定して、社会主義者を取り締まるため社会主義者鎮圧法を制定しました。

有名なビスマルクのアメとムチ政策の、「ムチ」が社会主義者鎮圧法です。