10分でわかる世界史Bの流れ!オリエント世界(2)〜エジプト文明〜

【受験世界史】エジプト文明について真面目に解説していきます

古代メソポタミア文明と対になって語られるのが、古代エジプト文明です。エジプトの長い歴史は、ナイル川のおかげで成り立ったとは有名ですね。

エジプトはナイルの賜物とは?

エジプトがどこか皆さんわかりますか?
ーーーーアフリカ大陸の北西端、西アジアであるサウジアラビアやイラクの近くです。

エジプトには、ナイル川という世界一長い川が流れています。この世界一のナイル川のおかげでエジプト文明は発達したのです。

古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが「エジプトはナイルの賜物」と評したように、エジプト文明はナイル川のおかげで成り立ちました。
というのも、ナイル川は定期的な氾濫して川の水が溢れていました。その川の水によって栄養分が運ばれることで、エジプトではたくさんの作物が育つ肥沃な土壌が生まれたのです。人も生き物ですから、食糧が得られやすい場所に群がります。そうやって人が集まって、集まってエジプト文明が始まったということです

エジプト古王国

ナイル川流域では前5000年頃から農耕が始まり、多くの人が集まり、ノモス(村落)が形成していきました。

そして前2700年頃にファラオ(王)が有象無象のノモス(村落)を統一してエジプト古王国を建国します。首都はメンフィスです。

ファラオは自身を現人神として、神権政治を行います。ファラオの言うことは絶対なのです。

例えばピラミッドなどの巨大建造物を作ることができるのも、王としての絶大な権力の強さを知らしめている証拠です。(エジプト最大のピラミッドとしてはギザにあるクフ王のモノが有名ですね)

エジプト中王国が建国

前21cからエジプト中王国が建国されます。中王国では首都をナイル川中流域のテーベに移します。

覚えることは、それだけです!笑

そして前18cにエジプト中王国はシリアからの異民族ヒクソスの侵入によりあっさり?滅亡します。

エジプト新王国が建国

前16cにエジプト新王国が建国され、異民族ヒクソスを追放します。

首都は中王国と変わらずテーベです。

アメンホテップ4世のアトン信仰の強要

新王国で有名な王様がアメンホテップ四世(イクナートン)です。

彼は前14cに活躍し、唯一神アトンの信仰を強制して、首都をテーベからテル=エル=アマルナへと遷都しました。

なぜこんなことをしたのでしょうか?
エジプトでは元来、アメン神を信仰しておりアメン神の神官が政治を牛耳っていました。

アメンホテップ四世はそれを嫌い、「他に信じる神がいないなら創ればいいじゃない」ということでアトン神を作りその信仰を強制することでアメン神の神官たちの政治力を無力にしようとしたのです。(彼は自分の名前を神に寄せてイクナートンに改名までしました!意味は「アトン神の役に立つ」です)

しかし彼の死後はアトン神への信仰はアメン神の神官によって捨てられ、再びアメン神信仰が始まります。

アマルナ美術の誕生

またアメンホテップ四世の時代はアマルナ美術という写実的な絵柄が生み出されます。

写実的とは、なるべく現実に寄せるように絵を描いたということです。それを主導したのがアメンホテップ4世でした。良くも悪くも、アメンホテップ四世はエジプトの革命者だったということですね!

ちなみにアメンホテップ四世の次のファラオは、かの有名なツタンカーメンです!彼は即位からわずか9年、17歳で亡くなってしまったので、大した業績は残してはいません。

前671年 エジプト新王国の滅亡

さて、そんな新王国ですが前1285年、ガデシュの戦いでヒッタイトと交戦し決着が付かず、史上初の成文化された平和条約を結びました。

ヒッタイト覚えてますか?古バビロニア王国を滅ぼした、初めて鉄製武器を使った民族です!

そしてエジプト新王国は、海の民という世界史上最強とも謳われる謎の民族によって衰退させられれ、前671年アッシリアによって滅亡させられます。

エジプト文明・文化の特徴!

エジプト文明の特徴はメソポタミア文明との比較、ひっかけでよく出題されるので重要です!

太陽暦の使用

エジプト文明は太陽暦を用いていました。

メソポタミア文明の太陰暦でも説明しましたが、太陽暦も1年を数字で図るための手段です。太陽暦ではその名の通り、太陽の周期によって1年間を365.25日であることを突き止めました。

この太陽暦の考え方を基に、古代ローマのカエサルがユリウス暦を設定し、その後色々と変遷をたどって現代の西暦(グレゴリウス暦)となります。

10進法

set polygonal numbers 1234567890 white silver on black background

エジプトでは、これまたメソポタミアと異なり10進法が用いられました。
現代でも用いられるアラビア数字も10進法ですよね。

死者の書(アマルナ美術)

さらに、先ほど述べたようにアメンホテップ四世の時代はこれまでの絵とは違う、圧倒的に自由なアマルナ美術が流行り「死者の書」などが描かれました。

この死者の書とは名前の通り、人間が死んだ際に一緒に埋葬されるもので、死んだ後の魂に対して楽園への生き方を記した埋葬書のようなものです。この書物はパピルスという植物の茎で作られた繊維に描かれました

ヒエログリフとロゼッタストーン

そしてこの時代のエジプトでは神聖文字(ヒエログリフ)や民用文字が用いられました。

これら古代エジプト文字を解読するのに一役買ったのが、ナポレオンが1798年にエジプト遠征中に見つけたロゼッタストーンです。

ロゼッタストーンは上段が神聖文字、中段が民用文字、下段がギリシャ文字で全く同じ内容が書かれています。

ギリシャ文字は途絶えることなく使われていたので、最下段のギリシャ文字を手がかりにフランスのシャンポリオンが神聖文字・民用文字の解読に成功します。これによって古代エジプト文化研究は一気に進んだのです。

下段のギリシャ文字の部分がもし欠けていたら・・・エジプトに関する詳しいことは、ほとんどわからなかったでしょう。

エジプト文明のまとめ

さて、エジプト文明は開放的なメソポタミア文明と違って王国や異民族の乱立が少ないですよね。

それは、ナイル川周辺以外は一帯が砂漠で異民族の侵入を拒んでいたからです。

王国の流れとしては

エジプト古王国→中王国→(ヒクソス)→新王国(vsヒッタイト)→アッシリア王国といった感じです。

またエジプト文明は太陽暦で10進法、メソポタミア文明は太陰暦で60進法だと比較して理解しましょう。

エジプトは砂漠があるから暑そうだし太陽暦で、エジプトという名前にジ=10が入ってるから10進法だ!とかいうこじつけで僕は覚えました笑

【悲報】エジプト文明メジェド様、日本でおもちゃになる

最近、エジプト文明キテますよね。

何がキテるかって?

メジェド様ですよ!メジェド様

左側の二本足の謎の生命体がメジェド様です。

神です。

見てください、右側の女性を!メジェド様に恐れおののいて、ひれ伏しているではありませんか!このメジェド様もアマルナ美術の代表である、死者の書に描かれています。

ちなみにメジェド様、時空を超えて日本の営利企業のおもちゃになっています。

10分でわかる世界史Bの流れ!オリエント世界(3)〜地中海東岸の3民族〜

2016.06.06