10分でわかる世界史Bの流れ!近代ヨーロッパ(9)〜ナポレオン3世と戦争〜

ナポレオン3世の没落から第三共和政の樹立まで

【前回までのあらすじ】(5)ウィーン体制の崩壊

フランスは1789年の革命以降、王政・共和政・帝政が入り乱れていますね。

1792年に国民公会によって第一共和政が始まり、1804年にナポレオンが国民投票で皇帝になり第一帝政、1814年にナポレオンの失脚で王政復古1830年の七月革命で立憲君主政の七月王政1848年の二月革命によって臨時政府が樹立され第二共和政

そして1852年にはナポレオン3世が国民投票で皇帝へ就任し、第二帝政が始まろうとしています。

ナポレオン3世の内政

1860年 英仏通商条約

1830年代にフランスの産業革命が始まり、フランス産業は発達していきましたが、この1860年の英仏通商条約の締結によって両国の自由貿易が進み、フランス産業革命は完成期へと向かいます。

19世紀の前半に自由主義政策を推進したイギリスと、産業革命を進めたフランスの思惑が合致したのが、英仏通商条約ですね。

他にもナポレオン3世は、内政としてパリの町並みを一新する都市計画を実行しました。パリの凱旋門が位置するシャルル・ド・ゴール広場を中心に放射状に道路が広がる様は、とても美しいですよね。理想の近代都市として、ナポレオン3世の名声を高める結果となりました。

またパリ万国博覧会が2回も開かれたのも、ナポレオン3世の時代の特徴です。

ナポレオン3世の積極的な対外政策

ナポレオン3世によるフランス第二帝政の支持基盤は、カトリック勢力と農民層です。

かつてのナポレオン1世時代のフランス栄光を夢見た農民層が、甥であるナポレオン3世にその夢を託したのです。当然ナポレオン3世は農民の期待にこたえるために、戦争に勝ち続けなければなりません。かつてのナポレオン1世のように。

1853年のクリミア戦争ではオスマン帝国を支援して、見事勝利。1856年のアロー戦争ではイギリスと連合して、清朝に勝利。1859年にはサルデーニャ王国を裏切ったイタリア統一戦争で領土を獲得。

また東南アジアではインドシナ出兵も行い、積極的な対外政策を次々と展開しました。

1861-67年 メキシコ出兵

<印象派のマネは、「皇帝マクシミリアンの処刑」にてナポレオン3世を批難しました>

ナポレオン3世の人気が落ち始めたのは、やはり戦争の失敗がきっかけでした。

1861年にアメリカで南北戦争が始まった隙を突き、メキシコにフランスの傀儡政権を樹立しようと出兵しました。

しかし、メキシコ軍のゲリラ抵抗と南北戦争を終えたアメリカによる批難によってフランス軍は撤退しました。メキシコに軍を送るだけでも多額の費用がかかるにもかかわらず、傀儡政権として送り込んだマクシミリアン皇帝を見殺しにして終わり、国民のナポレオン3世への不満は高まりました。

1870-71年 普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)

<ヴェルサイユ宮殿でのドイツ皇帝即位式>

西側でビスマルク宰相の下のプロイセンが勢力を伸ばしていることに恐れたナポレオン3世は、ビスマルクの挑発に乗って1870年に普仏戦争を始めました。

が、プロイセンの軍事力は凄まじく、ナポレオン3世はセダンの戦いでプロイセンの捕虜になってしまいます。ナポレオン3世は、イギリスへと亡命したことで第二帝政は終わり、ティエールによる臨時政府が樹立されます。(フランス第三共和政の開始)

プロイセン軍は、フランスの象徴のような場所であるヴェルサイユ宮殿を掌握し、プロイセン国王ヴィルヘルム1世のドイツ皇帝即位式を行いました。フランスにとって、これほど屈辱的なことはありませんね。

フランス臨時政府は、ドイツ帝国と普仏戦争の講和条約を結びました。内容は、地下資源が豊富で交通の要所でもある重要地域、アルザス・ロレーヌをドイツに割譲させられたことです。

1871年 3月 パリ=コミューン樹立

<「血の週間」赤旗がパリ=コミューン軍、現フランス国旗が臨時政府軍>

ヴェルサイユ宮殿でのドイツ皇帝即位式、アルザス・ロレーヌの割譲、多額の賠償金、どれもこれもフランス国民にとっては屈辱的なものばかりでした。

特にパリの市民・社会主義者たちは猛烈に講和条約に反対し、独自にパリ=コミューンという自治政府を樹立します。これは世界初の労働者階級が樹立した政権です。

これに対してティエール率いる臨時政府はパリを放棄してヴェルサイユへと逃亡。フランスでは同時代にパリとヴェルサイユの2つに政府を抱えることになりました。

労働者・社会主義者による政治結社、第一インターナショナルがパリ=コミューンを支持したりしますが、なかなかまとまることができずに、体制を整えたティエール率いる臨時政府に制圧されます。(このパリ制圧の様は「血の週間」とも呼ばれるほどの無差別殺人で、パリの町は阿鼻叫喚の様だったそうな)

1875年 第三共和国憲法が制定

フランスでは、王党派と共和派の対立がしばらく続いたものの、共和派が勝利して、新たに憲法が制定されます。

フランス第三共和政は、その後、ナチス・ドイツ軍に敗れた1940年まで続きます。