10分でわかる世界史Bの流れ!近世ヨーロッパ(9)〜三十年戦争の影響〜

三十年戦争の西欧への影響

【前回までのあらすじ】(4)ルター派から始まる宗教改革(8)イギリス・フランスの絶対王政

カルヴァン派(新教)の普及を乗り越えて、イギリス・フランスは王の権力を強めていきました。

新教(ルター派)始まりの地、神聖ローマ帝国でも宗教内乱が多数起こった末に1555年にアウグスブルグの宗教和議でルター派が認められましたよね。

が、1.カルヴァン派は認められず 2.個人の信仰も認められませんでした

こんな中途半端な新教の認め方をした神聖ローマ帝国では、ボヘミアで起きた新教徒の反乱が大戦争へと繋がってしまいます。

西ヨーロッパ中を巻き込んだ宗教戦争 三十年戦争(1618〜48年)

神聖ローマ帝国では1556年にカール5世が退位し、ハプスブルク家は2つに分裂しましたよね。スペイン=ハプスブルク家とオーストリア=ハプスブルク家です。

オーストリア=ハプスブルク家はカール5世の弟であるフェルディナンドが継ぎ、神聖ローマ帝国を支配しました。
フェルディナンドは旧教派であったので、神聖ローマ帝国での新教弾圧をしようとしました

これに反発したのがボヘミア(現チェコ)でした。かつて15cに神学者のフスがカトリック教会を批判してフス戦争まで起こしたこの地では、反カトリックの精神が残っておりルター派が増えていたのです。

1618年にボヘミアで始まった神聖ローマ帝国内部での宗教反乱は、やがて他国の新教国・旧教国の支援を受けて他国を巻き込み始めます。

当時はオランダとスペインが宗教上で対立してオランダ独立戦争を行っていたので、オランダが新教側で、スペインが旧教側で、ボヘミアの反乱を支援しました。
次第に他のヨーロッパの新教国・旧教国も参加して、宗教内乱は神聖ローマ帝国内では収まらなくなりました。

ヨーロッパでの大規模宗教戦争の始まりです。三十年戦争(1618〜48年)と言います

三十年戦争の参戦国

Thirty Years War

<三十年戦争時のヨーロッパの地図>

新教側で戦ったのは、ボヘミア王国を始めとする、スウェーデン・デンマーク・イングランド・ネーデルラント連邦共和国、そして新教を信仰しているドイツ選帝侯たちです。

旧教側で戦ったのは、神聖ローマ帝国を始めとする、スペイン・フランス・ハンガリーです。

ここまで上げた国々は、国内の多数派宗教に沿って新教・旧教を支援しています。なので三十年戦争は宗教戦争です

ところが戦争の終盤、1635年に旧教国フランスが新教国側を支援し始めました

当時のフランスはルイ13世・リシュリューの時代です。16cのイタリア戦争以降、フランス王朝とハプスブルク家は対立しており、この対立構造が宗教対立の枠を越えたのです。

このフランスの新教国側を支援したことで、三十年戦争は宗教戦争から領土拡大のための国際戦争へと性格を変えました

三十年戦争開始からウエストファリア条約までの30年間の経緯

1618年にボヘミアで起きた反乱をきっかけに始まった三十年戦争

1625年にデンマーク王国が新教国ボヘミア王国を支援したことで、神聖ローマ帝国内の反乱ではなく国際的な戦争になりました。

戦争序盤の1629年に神聖ローマ帝国の軍を率いるヴァレンシュタインが新教側に勝利します。

翌年1630年にスウェーデン王国のグスタフ=アドルフ王が三十年戦争に参戦しますが、1632年にヴァレンシュタインに敗れて戦死します。

戦争の序盤で勝利の波に乗れた神聖ローマ帝国を始めとする旧教側でしたが、1635年にフランスが新教国側に寝返ったことで状況が一変します。旧教側も勢力を盛り返し、戦争は長期化して中々決着しませんでした。

1648年にようやくウェストファリア条約が結ばれて、三十年戦争は終結しました。

主戦場となった神聖ローマ帝国はもうボロボロです。農地は荒れ果て、農民・国民は疲弊してしまいました。
さらにウェストファリア条約の内容が神聖ローマ帝国に打撃を与え、ドイツの経済は衰退していきます。

30nen-senso_a

<三十年戦争に傭兵たちから略奪される農民たちの絵>

1648年 ウェストファリア条約 〜神聖ローマ帝国の死亡証明書〜

三十年戦争の講和条約として結ばれたのがウェストファリア条約です。ちなみにこの条約が世界初の近代的な国際条約です。ウェストファリア条約には5つの大きな意義があります。

1.神聖ローマ帝国の実質的な解体

以前解説したとおり神聖ローマ帝国は大小300の領邦に分裂していました。

それを神聖ローマ皇帝が何とか名目上束ねていることにして、「神聖ローマ帝国」という1つの国・1つの主権国家として運営をしてきました。

しかし当然300もの領邦の諸侯を1人の皇帝がまとめることができるわけがありません。そこでウェストファリア条約では300もの領邦1つ1つを主権国家として認め、神聖ローマ帝国は分裂状態になります。

2.ドイツ国内でのカルヴァン派の信仰を認めた

1555年のアウグスブルグの和議でルター派は認められていましたが、カルヴァン派は認められていませんでした。このことが三十年戦争の発端だったのでしたよね。

カルヴァン派の信仰が認められたことで、三十年戦争は「新教徒側の勝利に終わった」ことを意味します。(もちろんルター派の信仰も認められたままです)

3.フランスがアルザス地方を獲得

旧教国でありながら新教側で参加したフランスが、ドイツのアルザス地方を獲得しました。

フランスは自国の宗教に反して領土拡大のために三十年戦争に参加したので、当然の結果といえば当然です。

アルザス地方は当時の重要なエネルギー源である石炭の採掘地であったので、これ以降フランスとドイツはこの地域を巡って奪ったり・奪われたりの戦争を繰り返します。

4.スウェーデンが北ドイツ沿岸地域を獲得

あまり重要ではありませんが、スウェーデンもちゃっかり領土を増やしています

5.スイス・オランダの独立が国際的に正式に承認される

ハプスブルク家の支配下にあった、スイス・オランダの両国の独立が国際的に承認されました

かつて新教カルヴァン派が始まった地スイスと、同じくカルヴァン派が普及してスペインに対抗したオランダの独立が宗教戦争後に認められたというのは何か象徴的ですね。

ちなみにこの講和条約でオランダ独立戦争も終了します。