10分でわかる世界史Bの流れ!近世ヨーロッパ(7)〜スペイン・オランダの繁栄〜

スペイン・オランダの繁栄

【前回までのあらすじ】(6)主権国家体制の形成

イタリア戦争をきっかけにヨーロッパでは、主権国家体制の波が広がり始めました。
主権国家体制の初期段階では、「絶対王政」という強力な権力を持った国王による統治体制が敷かれました。前回は、その絶対王政について説明しましたね。

今回と次回の記事で「絶対王政」を敷いた具体的な4ヶ国を紹介していきます!

絶対王政1 スペインの全盛期

大航海時代以降のスペインは破竹の勢いで成長していきます。

以前の解説記事にて説明したとおり、スペインという国はカスティリア王国とアラゴン王国が統合してできた国です。

しかし国王フェルナンドと女王イサベルとの間に生まれてきたのは女の子のみ。その娘はハプスブルク家に嫁ぎました。

スペイン政策を行えなかったカルロス1世(王位1516~56年)

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ハプスブルク家は、オーストリア王家ですが15cにはネーデルラントを獲得。さらにカルロス1世がスペイン王位を継承しました。さらにさらに、1519年にこのカルロス1世は「カール5世」として神聖ローマ皇帝にも選出されます。

こうして広大な支配領域を手に入れたカール5世(カルロス1世)ですが、彼の時代は大きな危機が3つもやって来ました。

・ルターの宗教改革によりドイツ国内は混乱
・オスマン帝国のウィーン包囲でハプスブルク家は危機に晒され
・イタリア戦争でフランスのフランソワ1世と対立

です。この3つの対処に追われてカール5世(カルロス1世)のスペインでの目立った活躍はありません。広大な領域を1人で支配するのは難しかったのでしょう。

1556年にカール5世(カルロス1世)が退位すると、ハプスブルク家は2つに分裂しました。
弟のフェルディナンドがオーストリア=ハプスブルク家を、息子のフェリペ2世がスペイン=ハプスブルク家を継ぐ事になりました。

スペインの最盛期 フェリペ2世(王位1556〜98年)

Private Collection Spanish, out of copyright

スペイン=ハプスブルク家を継いだフェリペ2世の時代に、スペインは最盛期を迎えることになります。

フェリペ2世が父カルロス1世から継承したヨーロッパ支配地域は、スペインやイタリアなど地中海沿岸の国でした。しかし、当時地中海の制海権はオスマン帝国にありました。

これに対しフェリペ2世は1571年のレパントの海戦でオスマン帝国の海軍を見事破ったのです。地中海の制海権はスペインに移り、スペインの海軍は無敵艦隊と称されるようになります。

さらに1580年には隣国ポルトガルの王位を無理やりGetし併合します
大航海時代の2topであるスペイン・ポルトガルが併合されたことにより、スペインは「太陽の沈まぬ国」と称されるほど広大・広域な領土を持つ大帝国になりました。

「太陽の沈まぬ国」スペインの衰退

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世界の覇権を手にしたスペインですが、その衰退は実にスピーディです

1581年にオランダ独立戦争でネーデルラント連邦共和国の独立宣言、1588年に無敵艦隊がイギリスのエリザベス1世下の海軍に敗れるなど、立て続けに事件が起きました。

これ以降17世紀にはスペインは目に見えて衰退していきます。ラテンアメリカから採れる銀を大量に保有していたにも関わらずスペインが衰退した理由は2つあります。

1つは王宮の浪費です。絢爛豪華なハプスブルク家の生活を支えたり、派手に戦争をやったりしてお金を浪費しました。
2つめは国内産業が育たなかったことです。スペインは中継貿易地として、ヨーロッパ中に金銀やモノをもたらしましたが、何か特定の産業が育ちませんでした。つまり、お金が国内に貯まらなかったのですね。

絶対王政2 オランダの独立(絶対王政ではない)

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「ネーデルラント」とは、現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルクの地域のことを指します。ネーデルラントとは低い土地という意味で、このあたりは日本みたいに山がないので、結構先の景色まで見渡せます。一度、旅行に行ってみるとわかりますよ〜♪

そんなネーデルラントは、婚姻関係によってハプスブルク家の領域となり、その後スペイン・ハプスブルク家に引き継がれました。

ネーデルラントでのオランダ独立戦争

そんなネーデルラントでは、以前も説明したようにスイスで始まったカルヴァン派が広がり始めました。しかし、支配しているスペイン・ハプスブルク家のフェリペ2世は当然これを弾圧しました。

スペインは旧教の国ですから、その支配下にあるネーデルラントで新教であるカルヴァン派を認めるわけにはいきません。

スペインの旧教化政策に対抗して、1568年にオランダ独立戦争が始まりました。

途中でネーデルラント南部10州がスペインに屈し、戦争から脱落します。(この南部10州が後のベルギーです)

しかし北部7州は抵抗を続ける意志を固め、ユトレヒト同盟を結成します。

オラニエ公ウィレムを指導者として抵抗を続け、1581年にネーデルラント連邦共和国として独立宣言をします。その後1609年にスペインと休戦条約を結んで、オランダは事実上の独立を果たします。

ちなみにネーデルラント連邦共和国のことは、これ以降「オランダ」と呼びます。オランダの正式名称は現在でもネーデルラント連邦共和国なのですが、日本では「オランダ」という名称が一般的なのでこちらを優先します。

オランダは独立戦争中に経済を大きく発展させました。
オランダ最先端の造船技術をもって、海洋貿易に力を入れます。イギリス東インド会社に続いて、1602年にオランダ東インド会社を設立します。

「東インド会社」とは、主にアジアで貿易を行う株式会社のことです。いわばヨーロッパにアジアの製品を輸入する今でいう商社のような存在です。

貿易によってオランダは経済を大きく発展させ、首都アムステルダムは17c前半に世界経済の中心となります。

鎖国中の日本でも、オランダとの交易のみ認められていたことからも当時のオランダの海洋貿易への力の入れようが伺えますね。

このオランダ独立戦争を支援した代表国がイギリスです。次回の記事ではイギリスの絶対王政への歴史を詳しく見ていきます!