10分でわかる世界史Bの流れ!古代ローマ文明(1)~ローマ共和政への道~

古代ローマ文明を解説!

さて今回から古代ローマ文明の解説に入ります。

今回の説明はギリシャの身分間闘争の流れと似ている部分があるので、ギリシャのことも思い出しながら読んでみて下さいね。

ローマでの貴族と平民間の身分間闘争

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ローマはイタリア中部にある世界でもかなり有名な都市ですね。今では経済が衰退してすっかり観光地化&スリの温床となっていますが、2000年以上も昔は世界で最も栄えていた地域です!

そんなローマですが、もともとは小さな都市国家で、アテネなどのギリシャポリスたちよりかなり遅れて発展し始めました。

つまり、大国ペルシャやギリシャからするとかなりの後進国、後発の国家であったということです。

「ローマは一日にして成らず」という格言が有名ですが、実際ローマという1つの国が成立するまでにかなりの時間がかかりました。そんな建国から統一まで500年以上もかかった、ローマの歴史の導入部分を見ていきましょう!

前509年 ラテン人によって共和政ローマが始まる

前753年にローマはラテン人によって建国されました。しかしすぐにエトルリア人という民族によってローマを支配されます

しばらくエトルリア人の王による統治が続きましたが、前509年にエトルリア人の王を追放してラテン人による共和政が始まります。

★共和政とは:要するに君主制の反対の意味で、皇帝や君主が存在しない統治体制のこと。
現在の日本やイギリスは王がいるので君主制、アメリカはいないので共和政と言うことが出来ます

パトリキ(貴族)による、政治権力の独占

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初期の共和政ローマでは、パトリキ(貴族)による権力の独占が起きます

元老院という国の方針を決める機関(今で言う国会)が存在していたのですが、その構成員はなんと300人ものパトリキ(貴族)たち!

元老院での役職として

コンスル(執政官):行政・軍事の最高政務官(任期1年、2名)
ディクタトル(独裁官):国の非常時の際に全権限を委譲され舵をとる独裁官(半年任期、1名)

の2つがあります。

コンスルは基本的には大統領のようなものですが、2人もいます。これはエトルリア人のような独裁王が出現しないようにしたいという貴族たちの思惑です。
が、戦争などの非常時には独裁官という全ての物事を決めてくれる人がいたほうが事がスムーズに運ぶものですから、ディクタトルという役職も用意されています。
(戦争時に独裁者に人気が出るのはヒトラーやスターリンから明らか)

非常に考えられた構成になっているのだから元老院も凄い!

さて一般の元老院議官もコンスルもディクタトルも、全てパトリキ(貴族)から選ばれていました

これで割を食うのがプレブス(平民)です。
貴族で構成された政治家たちが、平民のためになる政治をするはずがないですからね。平民たちは非常に貧しい生活を送っていました。

ですが、平民たちは商工業の発展のおかげで豊かになり始めます。
裕福になったので新しい武器を手に入れて、重装歩兵として戦争で活躍し始めるようになります。
戦争という国家としての義務に、平民が参加するようになったことで、プレブス(平民)の発言力が高まります

この辺の流れは、アテネの民主政と同じですね!

具体的にローマでのプレブス(平民)とパトリキ(貴族)間の、身分間闘争の一部始終を見ていきましょう!

前494年 聖山事件

最初にプレブスたちがパトリキに抵抗した事件が前494年の聖山事件です。ローマ北東部の聖山という山にプレブス(平民)たちがストライキを起こしたのです

当時、ローマでも小さな都市国家間での小競り合いや異民族侵入があったため、平民の力も非常に重要な戦力でした。
そこで貴族たち元老院もこのストライキに屈せずにはいられませんでした。

そこで元老院は、平民と貴族の身分差を減らす妥協案として、平民会という平民によって構成された平民のための議会を作り、護民官という平民のための役職を2名分用意しました。

護民官の権力はなかなか強く、元老院やコンスル(執政官)の決議に対して拒否権を持っていたというから凄いですよね

その後も平民の権力は拡大を続けます

前450年 十二表法が制定

前450年頃、十二表法という12の板に書かれたローマ最古の成文法が制定されます

この意義はギリシャのドラコンの成文法と同じで、旧来の貴族によるルールが有るようでなかった慣習法を文字で示したことで、貴族の俺ルールを制限したことです。

前367年 リキニウス・セクスティウス法

次に前367年にリキニウス・セクスティウス法が制定されます

この法は平民の役職である護民官のリキニウスとセクスティウスが制定した法で、役職・コンスル(執政官)の2名の内、1名を平民から選出するように制定しました。これで、ついに国のトップの片割れを平民が担えるようになったのです!

前287年 ホルテンシウス法

更に前287年にホルテンシウス法が制定されます

この法律は独裁官であったホルテンシウスが「平民会での決議は元老院の承認がなくとも国法となる」と定めたものです。

これによって平民会の構成員であるプレブス(平民)と元老院の構成員であるパトリキ(貴族)間の政治的平等が達成されたと言えます。これにてローマの身分闘争は終了します。

しかし、平民間で格差が広まったり、財力の違いによる元老院の圧倒的な権力、独裁官の存在から、ギリシャの民会のように貧富の区別なく政治に参加することはできなかったと言えます。

ギリシャの民会という貴族も平民も貧乏平民も参加権のある1つの組織があってこそ本当の民主化なのです