10分でわかる世界史Bの流れ!中世ヨーロッパ(8)〜イギリス・フランスでの王権強化〜

十字軍以降の、イギリス・フランスの両国の王権の変化を捉える

【前回までのあらすじ】(1)ゲルマン人のヨーロッパ侵攻 (2)ノルマン人の侵攻(ノルマン=コンクエスト) (6)十字軍の歴敗

十字軍の影響は3つあった。その内の1つである東方貿易の活発化によって、封建制度が衰退を始めたことを前回解説した。
今回は、残り2つの教皇の権力の衰退と、各国王権の強化がヨーロッパに与えた影響をイギリスとフランスの2カ国に焦点を当てていきます。

2つ前の十字軍の記事で、十字軍の影響は大きく3つあると述べました。
前回は、戦争によって西洋とイスラムの交流が盛んになり東方貿易が生まれたことによる影響について説明しましたよね。

今回は、大きな影響の残り2つ。
✔十字軍を主導した教皇の権力の衰退。
✔戦争に、直接関与した各王権の増大。

による影響について説明します。
見ればわかると思いますが、この2つの現象は表裏一体です。
十字軍を主導したけど全体を上手く制御できずに失敗し権力が弱まった教皇に対して、各十字軍戦争で活躍した王たちへと権力が移っていったのです。

では十字軍が行われた時代(1095年〜1270年)と、それ以降どのようにして教皇権が弱まり、王権が強まっていったのか?
イギリスとフランスの二国に注目して見ていきましょう。
どちらも、百年戦争後に貴族や領主の力が弱まったことで王権を確立していきます。

フランス(カペー朝からヴァロア朝まで)

まずフランスから。
メルセン条約後の西フランク王国では、10c後半にカロリング朝が断絶。パリ伯ユーグ・カペーが、カペー朝を始めたことは、以前説明しました

このカペー朝の王権は当初非常に弱く、諸侯の力と拮抗していました。

フィリップ2世による王権強化

が、徐々に王権は強まりフィリップ2世の時代には、大きく王権が強まります。
第三回十字軍に参加したり、ジョン王からフランスの土地を奪ったりと、成果を上げます。

フィリップ4世と教皇の対立

ルイ9世の第七回十字軍が終了した後のフィリップ4世の時には、教皇ボニファティウス8世と聖職者課税問題で対立するにまで権力を強めます。
1302年には三部会という、イギリスの模範議会をまねた身分制議会を招集し、新税の課税を認めさせます。
国内での合意形成を終えたフィリップ4世は、1303年に教皇ボニファティウス8世をなんとアナーニというローマ郊外に捕囚し、ストレスで憤死させます。これはアナーニ事件と呼ばれ、十字軍終了以降、教皇権が衰退したことを表す大きな事件となりました。

1309〜77年 教皇のバビロン捕囚

その後、1309年には教皇庁をローマからフランスのアヴィニョンに強制移転させます。これを古代ユダヤ人になぞって教皇のバビロン捕囚と呼びます。これは1309~77年まで続きました。フランス国王の力が教皇を上回っていることを示していますよね。

1378年〜1417年 教会大分裂(大シスマ)

フランスに教皇がいることに異議を申し立てる者も多く、教皇が乱立します。代表的なのがローマとアヴィニョンに教皇が現れ、互いに教皇を主張したことです。これを教会大分裂(大シスマ)といい、1378年〜1417年まで続き、1414〜18年のコンスタンツ公会議で終了します。

ヴァロア朝の成立を契機に百年戦争へ・・・

さて教皇のバビロン捕囚中の1328年には、カペー朝は断絶しヴァロア朝が成立します。
しかし、この王位継承に待ったを唱えたのがイギリスのエドワード3世です。ここから地獄の百年戦争が始まります。。。

イギリス(プランタジネット朝時代と薔薇戦争)

百年戦争を見ていく前に、イギリスのウィリアム1世以降の出来事を解説します。最後にイギリスを解説したのは、ノルマン人について説明した記事です。

1066年、フランスに位置していたノルマンディー公国のウィリアムがイギリスを征服したため、ノルマン朝が始まりました。
イギリス視点では、ウィリアム1世ですね。

イギリスの王権は、他の大陸諸国(フランスやドイツのこと)に比べてもともと強かったです。
ただ、イギリス王はイギリスでは王様ですが、フランスにあるノルマンディー公国においてはフランス王の家臣になるというややこしい関係が続いていました。

当時のフランスのカペー朝の下に位置するのがノルマンディー公国です。公国とは、フランス王国(カペー朝)に仕える小さな国家のようなものです。
つまりフランス王の家臣がノルマンディー公。ノルマンディー公は、イギリス王でもあるというややこしい状況です。

プランタジネット朝(1) ヘンリ2世

そんなイギリスのノルマン朝も、王位継承問題が発生し1154年に初代王ヘンリ2世がプランタジネット朝を始めます。
ヘンリ2世はフランスの大領主(貴族)でもあったため、フランスに土地をたくさん持っていました

プランタジネット朝(2) リチャード1世

二代目は第三回十字軍でも活躍した獅子王リチャード1世。サラディンとの孤軍奮闘の戦いが有名です。

プランタジネット朝(3) ジョン王

三代目は、失地王として有名なジョン王。彼は、父ヘンリ2世の時代から受け継いだフランスの広大な領地をぜ〜んぶ、フランス王フィリップ2世に奪われてしまったのです。この時、ノルマンディー公国も奪われています。
さらに、教皇インノケンティウス3世から破門されてしまうなど王として失政を繰り返します。

土地を奪われ、国王が破門までされてしまっては国益に関わります。怒ったイギリス貴族たちは、ジョン王にマグナ=カルタ(大憲章)と呼ばれる、イギリス憲法の原始案を認めさせます。
ここでは、国王による課税は議会の承認なくしてできないなど、王権を制限する項目が設けられたことが革命的でした。

プランタジネット朝(4) ヘンリ3世

四代目、ヘンリ3世はマグナ=カルタを無視して重税を課そうとした所、貴族の猛反抗を受けます。1258年に貴族、シモン・ド・モンフォールが筆頭になって諮問議会を王に認めさせます。これが後のイギリス議会です。

プランタジネット朝(5) エドワード1世

五代目、エドワード1世は議会に反発するのではなく、軍事費調達のために利用しようとしました。そこで1295年に模範議会という身分制の議会を開きました。この身分制議会というのは重要で、貴族だけでなく騎士や、都市の代表者である市民も議会に参加しました。

イギリスから始まった議会という、王権を制限するための制度はヨーロッパ各地に広まり実行されました。(フランスの三部会、ドイツの帝国議会など)このことからも、十字軍以降、議会によって王権を財政面から縛らなければならないほど強力化していたことがわかりますね。

プランタジネット朝(7) エドワード3世

1代飛ばして、7代目エドワード3世の時代にはフランスのカペー朝が断絶します。これを好機と見たエドワード3世は、フランスの王位継承権を主張します。ジョン王が失ったフランス領地を取り返す絶好のチャンスです。これが有名な、イギリスとフランス間の百年戦争(1339年〜1453年)が開始したきっかけです。

百年戦争(1339年〜1453年)

当初、イギリス側が優勢でしたが、当時黒死病(ペスト)が流行ったことで両国に大打撃を与えます。
ペストの流行や、裕福な農民の台頭による反乱(1358年ジャックリーの乱 inフランス、1381年ワットタイラーの乱 inイギリス)も起きたことで両国は混沌状態に陥り戦局は泥沼化します。

最終的に、1429年のジャンヌ・ダルクの奇跡も相まってか、1453年にフランス側の勝利として終局します。
この結果、フランス内にはカレーという地域を除いて、イギリス領が完全に排除されました。

さて、百年戦争といいながら100年以上続いたこの戦争。フランスが勝利したという名目ですが、長期の戦争は国家を、国民を必ず疲弊させます。
百年戦争後、両国では領主・貴族が没落します。そもそも戦争に主体的に騎士として参加していたことに加えて、農民反乱なども起きたことで領主・貴族の力は弱まり、王権に力が集まっていく結果となります。

つまり、百年戦争後、封建制度が崩壊し、王を中心とした中央集権化が促され、絶対王政へと時代が移っていったのです。

1455〜85年 バラ戦争

さらに、実はイギリスでは百年戦争のどさくさに紛れて、プランタジネット朝は断絶しています。疫病に農民反乱が連続した後の1399年のことです。
代わりに台頭したのがランカスター家なのですが、ヨーク家も王位継承権を主張し始め、百年戦争終結直後の1455〜85年にバラ戦争という内乱が起きます。

結果として、ランカスター家の一族のテュダー家が王位を握り、ヘンリ7世を筆頭にテュダー朝が始まります。
またヘンリ7世は、星室庁裁判所を開設します。これは貴族など身分が高い人間が国王に反抗してきた際に裁く国王直属の専用の裁判所です。
王様が自分の権限で人を裁くことができるということですね。ここからも王権が強い時代になってきてることが読み取れます。。。

教皇権の没落は、飛び火する

hus_jan_upaleni1

教皇権が衰退したことを表すことは同じ時代に起きたこととして、市民が教会に対してモノを言うようになったことからもわかります。
イギリスの神学者、ウィクリフは教会大分裂や、聖職者の堕落している様を見て、教会の存在を避難し聖書の重要性を主張しました。
彼の主張は大きな波紋を呼び、その後の時代のチェコの神学者フスもウィクリフと同様にカトリック教会を批判します。
すると、1414年のコンスタンツ公会議でその説を異端とされ火炙りにされて死にます。

フスの火刑がきっかけで、ベーメン(現在のチェコのボヘミア)で教皇・皇帝に対する戦争であるフス戦争が起きた。

教皇の権利が弱まってきていることが感じられたのではないでしょうか?

4 件のコメント

  • 星室庁裁判所はヘンリ7世だと思います。
    ちなみに、私の覚え方は、ゼブンスター(タバコの銘柄。ヘンリ7世の7=seven、星室庁裁判所の星=star)です

    • ご指摘ありがとうございます!
      ホントですねー。これは、僕の認識から間違っていました。。。間違いの要因は、高校の時のノートですね。バッチリ、ヘンリ8世と書いておりました。笑

      こういう地味なルーツに、誤認識があるので、皆様ご注意を。(わかりやすい覚え方ありがとうございます。でも高校生はタバコ吸わないから馴染みないかも!?ですね笑)

  • 前のコメントにあった、星室庁裁判所のヘンリ7世の件ですが、今年買った世界史の用語集には【ヘンリ8世の治世下で整備された】と書かれており、また【かつてはヘンリ7世が設立したものとされていた】とも書かれてあるので、ヘンリ8世で間違いないかと思います!

    • コメントありがとうございます!なぜこんなに割れるのか気になって調べてみた所、山川の教科書には”ヘンリ7世のあとを継いだヘンリ8世の時代に整備された“とあり、山川の用語集にはヘンリ7世の時代に設立された、と書いてあります。
      なるほど、設立はヘンリ7世で、権限強化はヘンリ8世の時代に積極的に行われたようです。
      なので、やはり設立はヘンリ7世のようですね。紛らわしいです。。。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。