10分でわかる世界史Bの流れ!ギリシャ文明(5)~ギリシャ哲学文化~

本当は面白いギリシャ文化(哲学編)

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はっきり言うと、「ギリシャ文化」において出てくるギリシャ人たちの名前は覚えることが難しい!
〜テネスとか〜トスとか、多すぎて死●ってなります。絶対なります。

でも、ギリシャ哲学者が何を考えていたのかを伝えたい!

ので、ギリシャ人の名前を覚えるために各ギリシャ人が何をしたのかを理解するのではなく、

ギリシャの哲学者たちが具体的に何をしたのか読んでいたら、ギリシャ哲学者の名前を覚えてしまった!

と思ってしまうような解説にしていきます。

ギリシャの自然哲学者たち

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哲学とは何か?と問われると、哲学的すぎる質問で頭が狂いそうになるかもしれませんが、哲学とはこの世界を理解しようと思考することです。非常にシンプルですが、複雑です。

最初の哲学は、自然哲学から始まります。

自然哲学とは:広くこの世界で自然に発生する全ての事象について、神話的な論理ではなく合理的な思考によって解釈することです。

意味わかりませんね。

分かりやすく言うと、なぜ雨は降るのか?という自然現象を、神様に理由付けをするのではなく、何か他の理性的なもの(数式・物理学など)で説明できないのか?と考えることです。

例えば、ギリシャ神話の中でアポロンという神は太陽神である、オーケアノスは海神であるなどあらゆる自然現象が擬人化され神として崇められていました。
このように自然現象を神話で語っていたギリシャ神話の一方で、哲学者たちはもっと合理的にこの世界の自然現象を説明できないかと思考を始めました。それが、自然哲学なのです

他の宗教においても、神話は、この世界の事象を神の絶対的な力で説明しています。

昔の人は本当になぜ雨が降って作物が育ち、陽が照っているのか理解できずに恐怖であったことでしょう。もし明日雨が降らなくなったらと思うと夜も眠れません。

理解できない現象は恐怖ですから、仕方なく各民族は神話によってこの世界の成り立ちを理解し、安心することにしたのです。神様が雨を降らせてくれるように、今日も神様に感謝しよう!と。

そんな、神話による自然現象の説明に異を唱え始めたのがギリシャの自然哲学者たち、ということです。

タレース(万物の根源は水である) 前624年〜前546年

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最初のギリシャの自然哲学者はタレースです。

彼はイオニア地方のミレトス(ペルシャ戦争のきっかけとなった場所)出身です。

ここは、ギリシャ人やペルシャ人、フェニキア人などが交流する地中海沿岸地域です。
多くの人が交流する地域であるゆえに、ギリシャ人が信じている神話を信じていない人がいて、しかも他の民族もそれぞれ神話を持っている。

神話ってこの世界の事象を証明できていないのではないか?と思考を始めたことがタレースの凄いところです。固定概念を疑うパイオニアとも言える存在ですね。

タレースは哲学の父とされ、万物の根源はであると説きました。(水がタレースと覚えましょう)

つまり世の中の全ての事象は水から出来ていて、やがて消滅し水へと消えていくと主張しているのです。

今から考えれば、「何言ってんだおっさん」という感じですが、当時のギリシャ人たちは神話を完全に信じていますので、発想の転換具合が素晴らしいのです。

ちなみに彼は、体育競技の観戦中に熱と喉の渇きと老衰が重なり亡くなります。なんか皮肉ですね。

ピタゴラス(万物の根源は数である) 前582年〜前497年

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さて、ピタゴラスイッチでお馴染みの?ピタゴラスの登場です。

彼の業績は、この世界の現象には数学的な法則が背景にあるのではないか?という仮説を打ち立てたことです。(事実、物理や科学の全ての基礎は数学ですから当たっています)

有名なピタゴラスの定理(直角三角形は短い2つの辺同士を2乗して足した数は、長い1つの辺の2乗と一致するという考え方)がありますが、

彼は数学者として「この世界は全てで出来ている」と説きました。

彼はこの世界の全ての事象が数字で証明できることに酔いしれてそう説いたのです。

そして彼は「数」を愛する者同士が集いピタゴラス教団を設立します。

う〜ん、端から見ると異端中の異端ですね笑

彼は一般市民から教団の避難を浴び、追われて死にます。悲しいですね。

ヘラクレイトス(万物の根源は火である) 前544年〜?

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ヘラクレイトスは、万物の根源はであると説きました。この理由を理解するためには彼のもう一つの有名な言葉「万物は流転する」という意味を考えなければなりません。

「万物は流転する」の意味は、
「この世界の全ての事象、国も人も美しい建物も変化をし続けるものである」ということです。

変わらないことなんて何一つない。轟々と燃え盛る炎のように、永遠に形が変わらないものなどこの世界には1つも存在しない。

人間が見ているこの世界は一瞬、不変的なもののように勘違いしてしまうが、もっと長期的な視点に立ってみると変わらないことなんて何一つない。

そして変化を生み出しているものこそロゴス(法則)であり、ロゴスは火のように永遠に変化し続ける。

だから「万物は流転する」し「万物の根源は火」だとヘラクレイトスは主張しているのです。

彼は非常に頭が良い、良すぎる貴族階級であったがゆえに、頭が悪い民衆によって行われる民主政を毛嫌いし、山奥で隠遁しながらこの世界について思考し続けたそうです。

そして、医者さえもバカにして毛嫌いして自力で治療を施したことで死にます。

デモクリトス(万物の根源は原子である) 前460年〜前370年頃

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ギリシャ人による、自然哲学はデモクリトスの万物の根源は原子であるとの主張で終わりを迎えます。

彼は、この世界は全て原子の運動によって出来ていて、その原子は一定の法則によって動いているので、この世界の現象は全て必然(=理由で説明ができる)としました。

あらゆる物質は原子でできているので、当たっています。

彼は、笑う哲学者と呼ばるほど陽気な性格で、これまでの自然哲学者よりも楽しそうな人生を送ったそうな。

弁論家(ソフィスト)が活躍

さて、ちょうどデモクリトスが活躍した時代はペルシャ戦争が終結し、アテネの民主政が確立された頃です。

この頃は平和になったにも関わらず、自然哲学は衰退していきます。

なぜか?弁論家であるソフィストが、自然哲学のように絶対的なものは存在しないと主張を始めるからです。

大きな戦争であるペルシャ戦争が終わり、平和な時代が訪れ、小戦争で戦うのは異民族の奴隷、家事洗濯も奴隷や女がやるように。

男は何をするかと言えば、スポーツをしてオリンピックに備えたり、民会で自分の意見を主張したりと暇そうにしていた。

そんな暇な時間を持て余した男たちの一部が、弁論家、つまりは口が上手く他者に納得感を与えることを職業とするソフィストです。

彼らは、口が上手いので、どんな立場にたってもどんな人でも口で論破することができます。

そして、彼らは例え過去に自分が唱えた主張論理と相反する立場であっても、多くの人に納得感を与えることが言葉上可能であることを知ります。

そうなると、価値観は絶対的なものではなく、言葉上で簡単に覆すことができる相対的なものであると理解し始めます。

これが相対主義の始まりです。

★相対主義とは?:各個人の経験や文化など主観的な見方でしか物事を理解することはできないということ。客観的な事実(=全ての人が理解できること)など存在しないという主義。つまり、これまでの自然哲学者たちの探求をソフィストが弁論で覆したということです。

相対主義の主張者、プロタゴラス 前485年〜前415年

8ec19d21代表的な最初のソフィストは、プロタゴラスです。

彼は「人間が万物の尺度」だと唱えたことで有名です。

つまり、全ての事象は人間が決めるものであり、すべての事象は各人間が決めるため絶対的なものは存在しない!ということです。

具体的にいうと、

ある人は「今日は暖かいね」と言う一方で、ある人は「今日は寒いね」と言います。

全く逆のことを言う人が、同時的に発生するということは、人間を基準に考えれば気温というものは絶対的なものではなく、各人間が決める相対的なものである!ということです。

個人の主観が絶対的な真理の基準で、客観的事実は存在しない。

要は「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」ということです。

アテネの衆愚政治に対抗したソクラテス 前469年〜前399年

そんな相対主義者に対抗したのが、かの有名なソクラテスです。

彼はペロポネソス戦争というギリシャのポリス同士の内戦が起きた時代に生きた哲学者で、アテネの衰退をその目で見てきました。

ソクラテスはアテネの衰退の要因を相対主義を持つソフィストにあると批判しました。

彼の主張は下のような感じです。

「この世界に絶対的な真理はなくても、国は!ポリスは!国家としての方向性を決めなければならない。民主政のもとでは決定権は国民(ポリス民)にあるが、その国民もまた相対主義に毒されて「絶対的な真理なんてないから、決めようがない」と諦めてしまっている。

そんな中、雄弁なソフィストが雰囲気だけで国の良い方向性を滅茶苦茶な理論で語って、民衆を扇動して衆愚政治へと貶めて(おとしめて)いる。

だからアテネは衰退しているのだ。それは全てソフィストらの相対主義のせいだ」と。

相対主義者が、世の中の事象全て主観的な見方でしか説明できないと諦めの感情を与える一方で、ソクラテスはこの世界に普遍的で絶対的な真理があるのだとソフィストらに対して説きました。

その手法は、問答法という対話を通じて行いました。

どういうことかと言うと、

ソフィストらが壇上で民衆相手に滅茶苦茶で主観的な論理を振りかざす中、ソクラテスがひたすらに質問攻めをして相手の論理にボロを出させて、
「なんだ、あなたの主張していることは論理的に間違っているではないですか?」

と相手に無知の知(=自分が無知であることを自覚させること)を理解させたということです。

このような問答を聞いた民衆はどう思うでしょうか?

「あれ、ソフィストが主張していることって間違ってたのか。なんだ信じた俺が馬鹿だった。じゃあ、本当のこの世界の真実って何だろう?」

そうです、民衆にもまた無知の知を与え、自分がいかに何も知らないかを理解させ本質の探求へと関心を向けさせたのです。

このことから、アテネが衆愚政治に陥ってしまったのは、雄弁だが論理が破綻しているソフィストとそれを信じてしまう何も考えてない愚かな民衆のせいだとソクラテスが考えて行動していたことを伺い知ることができます。

なんだか、現代の政治状況に似ている気がしませんか?
愚かで何も考えず雄弁家に躍らされることのない無知の知を持った民衆にならないと、民主政治は腐敗してしまいますよ?

ちなみにソクラテスは、「若者に悪影響を与えた罪」として死刑に処されます。

彼には熱狂的なファンがいたため牢獄から脱走することもできたのですが、ソクラテスは自らの思想を愛していたからこそ逃げませんでした。

彼は最後に毒杯を自ら飲むという自殺のような形で死刑となりこの世を去りました。

しかし、彼の「無知の知を持ちつつも物事の真実を追求しようよ」という思想は彼の弟子を通じて現代科学まで脈々と受け継がれていくのです。

真実を探求し、辿り着いたプラトン 前427年〜前347年

さて、アテネの若者たちに大きな影響を与えたソクラテスでしたが、彼は一切の本を書きませんでした。

ですが、ソクラテスの意志を継ぎ、ソクラテスの言葉を書き残したのが彼の弟子プラトンです。

真実を探求し続けろと説いたソクラテスの意志をそのまま受けたプラトンは、「人それぞれ価値観違うから」と諦めた調子の相対主義の世界の中、真理を考え続けます。

そして、彼は1つの絶対的な真理にたどり着きます。それはイデアという存在です。

「善とは何か?という定義は人それぞれだと相対主義者らは言う。
だが、善という共通の言葉・概念は相対主義者ら同士でも存在している。

善というものを誰も理解はしていないが、善という言葉から受けるイメージは万人に共通している。

コレはもはや、善という存在があると認めざるをえない。
善や美という観念(イデア)はこの現実世界に確かに存在していて、相対主義者らの各人の価値観はこの観念(イデア)が色々な形となって現実世界に現れたものに過ぎない」

これがプラトンのイデア論なのです。

彼は真理にたどり着いた後は、アカデミアという学校を作り900年に渡って哲学者を養成し続けました。

万物の祖アリストテレス 前384年〜前322年

プラトンのアカデミアで哲学を学んだアリストテレスはプラトンの弟子にまで成長していた。

アリストテレスはプラトンの主張を学び、そしてプラトンの主張を論破する新たな説を生み出します。

師匠を超える考え方を生み出すのが哲学の面白い点ですね。哲学は常に疑うことを求められ、発展し続けます。

プラトンのイデア論は、冷静な思考をもったアリストテレスからすれば荒唐無稽な話でした。

「師匠プラトンのイデア論によると、観念(イデア)がこの世界には確かに存在しているとしている。

だが、イデアなんてものは存在しない。人間は経験則によって、善や美、徳といった観念を生み出しているだけであって、絶対的な観念は決して存在しない」

と師匠に異を唱えてみせたのです。

そして彼が「万物の祖」と呼ばれる所以はここからです。

「さて、全ての現実の事象はイデアでは証明されないことがわかった。じゃあ、この世界を少しでも理解できるように、僕らの経験則や観察によって知の体系化を行おう」として、あらゆる学問を体系化し始めました。ただ異議を唱えただけでなく、真理へ近づくために学問を始めたのです。

具体的には動物学、天文学、物理学、気象学などあらゆる知識について観察による経験則によって体系化していきました。

観察→記録→性質の抽出→1つの真実を生み出す。

という考え方をしたアリストテレスの手法が現代科学の基礎を作り出します。

ちなみに彼こそが、同じ時代に生きたアレクサンドロス大王の家庭教師です笑。随分と質の高い家庭教師ですね・・・

さて彼はあまりにも優秀すぎ、弟子も作らなかったために後世の人々はみなアリストテレスを盲目的に信じてしまいました。

おかげで「重いものは軽いものよりも早く落ちる」、「宇宙は地球を中心に廻っている」などの知識が信じられ、それを疑うことは許されないという風潮が作られ科学の発展が遅れてしまいます。

これは、「真実を探求する」という思想をもったアリストテレスからすれば本意ではないので何とも皮肉な事実ですね。

ラファエロが描いたアテネの学堂

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さて、今回紹介した哲学者たちが一堂に会する夢の様な扉絵があります。

それが、アテネの学堂というルネサンス期に活躍した画家ラファエロが描いた絵です。

現在は、ヴァチカン市国に貯蔵されているこの絵ですが、いかに中世ヨーロッパにおいてもアリストテレスら哲学者の影響が大きかったかを示してくれる絵です。

ラファエロだって、よく知られていない変な哲学者はわざわざ絵にはしないですからね。

・左側にいる隣の人に話しかけて無知の知を知らせようとしてる禿げた変なおじさんがソクラテス。
・真ん中で上を指差してイデア論を語るのがプラトン、下を指差して現実的な哲学を語るのがアリストテレス。
・左下で書物に数字を書き記しているのがピタゴラス。
・真ん中下で万物は流転するのだと1人思考にふけているのがヘラクレイトス。

だと言われています。本当のことはラファエロにしかわかりませんが、この記事で解説した通り各人の特徴をとらえたいい絵になっているでしょ?

現物は縦5m,横7mという絵で迫力もあるようです。見てみたい!

参考サイト様:猿でもわかる哲学史