10分でわかる世界史Bの流れ!近世ヨーロッパ(14)〜ヨーロッパの海外進出〜

【前回までのあらすじ】(1)大航海時代の幕開け

ポルトガル・スペインが先陣を切った大航海時代。これを機にヨーロッパの海外進出がものすごい勢いで展開されていきます。

ヨーロッパのアジア市場への進出

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1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに見事到着しました。インドへの東廻りでの航路を発見したことを皮切りに、ヨーロッパとアジア間での貿易が一気に活発化します。

香辛料は高温多湿な環境でしか育たないため、ヨーロッパではほとんど自生していませんでした。でも、香辛料と肉は合う!だからみんな欲しい。そして人が欲しがるものは、お金になる!だったら香辛料貿易を成立させようじゃないかと多くのヨーロッパの国がアジアへと乗り出すのです。

ポルトガルのアジア進出

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最初にインド航路を発見したポルトガルが、アジアへ一番に乗り出します。

が香辛料貿易・アジア貿易にはすでに先約がいます。それがムスリム商人です。オスマン帝国やマムルーク朝など、イスラム国の商人たちがインドの貿易利権を独占しており、これまでヨーロッパにアジアの商品を流してきました。

そこに乗り込んでいったポルトガルは、ムスリム商人と争わなければなりません。

まずポルトガルは1510年にインドのゴアをポルトガル領にして、アジア貿易の拠点とします。

ここを拠点にしてスリランカ(セイロン島)・マラッカ王国・モルッカ諸島などを次々と占領していきます(特にモルッカ諸島は香辛料島と呼ばれるほど、貴重な香辛料が取れる島であったため激しい奪い合いが今後行われます)

1517年には、ポルトガルは中国の明と交易を開始します。1557年にはマカオという中国の港町にポルトガル人の居住権が認められます。それほど、明とポルトガルには強い繋がりがありました。

ちなみにポルトガルが日本と交易を行っていたことは小学校の頃習いましたよね。1543年、種子島に流れ着いたポルトガル商人が持ち込んだ鉄砲が日本の戦争を大きく変えました。それ以降のポルトガル・スペインとの貿易を南蛮貿易と呼びましたね。

アジア貿易に一番乗りしたポルトガルでしたが、その息は長いこと続きません。

1580年にフェリペ2世によってポルトガルがスペインに併合されましたよね。その60年後の1640年にはポルトガルは独立を果たすのですが、その併合から独立までの間にイギリス・オランダに次々とポルトガルの築いてきたアジア貿易拠点を奪われていってしまったのです。

スペインのアジア進出

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西廻りでインドへとたどり着こうとしたスペインは、1522年にマゼランが世界一周を成し遂げましたよね。その過程でフィリピンに寄っています。これがスペインの最初のアジア到達です。

フェリペ2世がフィリピンを領有し、マニラという都市を拠点にアジア貿易を開始します。フィリピンのマニラと、メキシコを結んだ貿易ネットワークです。

が、スペインはアジア貿易をそれほど大規模に展開することは出来ませんでした。それほど太平洋は広すぎたのでしょう。

オランダのアジア進出

オランダは1602年にオランダ東インド会社を設立して、アジア貿易を本格化させます。

貿易にはまず拠点が必要ですから、インドネシアのジャワ島にあるパタヴィアをポルトガルを排除して占領します。

1623年には、アンボイナ事件をきっかけにイギリスをインドネシアの貿易から排除しました。これによってイギリスは東南アジアを諦めて、インド経営に力を注ぎます。

アンボイナ事件とは、簡単に言うと、
イギリス商人が俺らのことを襲撃しようとしてるんじゃね?と気づいたオランダ商人たちが、逆にイギリス商人を処刑した事件のことです。

1624年には台湾を占領、1652年にはアフリカ最南端のケープ植民地を建設して東南アジア貿易の中継地としました。
またオランダは、日本が鎖国を行った1639年以降も唯一交易を行っていた国ですよね。

イギリスのアジア進出

イギリスはアンボイナ事件以降、インド経営に力を注ぎます。

1600年に作られたイギリス東インド会社を中心として、貿易を行います。インドのマドラス・ボンベイ・カルカッタはイギリスの有名なインド拠点です。

イギリスではクロムウェルの共和政の時代、1651年に航海法を定めます。これによって中継貿易に依存していたオランダは大打撃を受けます。こうなったらもうオランダにとって戦争するしかありません。

1652年に英蘭戦争が3度に渡って行われ、結果イギリスの勝利に終わり海上覇権はオランダからイギリスに移ります。

なぜ航海法が発布されることで、オランダの中継貿易が打撃を受けるのか?

なぜ航海法によってオランダの中継貿易が打撃を受けるのかというと当時の船がショボいからです。
エンジンなんてものはまだ存在しませんから、船はワンピースの世界みたいに風で動いているわけです。が、風は自由気ままなので、途中途中で近くの港に停泊しないと漂流してしまいます。なので寄港地が絶対に必須なわけです。

しかし、航海法によってオランダ船はイギリス・およびイギリスの植民地に停泊できなくなりました。こうなると、インドネシアからオランダへ帰る途中に、インドに停泊しよう〜ということができなくなってしまったのです。オランダは寄港地がなくなってしまいます。

こうしてオランダの中継貿易は大打撃を受けて、イギリスとの戦争に乗り出したのです。

フランスのアジア進出

オランダ・イギリスの影に隠れて、フランスも海洋国家の道をなんとか後追いしようとします。

ルイ14世の財務長官コルベールが、1664年にフランス東インド会社を再建して貿易ネットワークの確立へと動き始めます。

17cにはインドのポンディシェリ・シャンデルナゴルを占領して、貿易の拠点にします。(これはそれぞれイギリスのマドラス・カルカッタに対抗しようと近くの都市を占領しています)

明らかにイギリスに対抗心を燃やすフランスですが、少し時期がおそすぎました。

1756年の七年戦争で、イギリスとフランスは互いに違う国を応援しました。ヨーロッパでのこの戦争に呼応して、インドでもイギリスVSフランスの戦争が起きます。
1757年のプラッシーの戦いです。プラッシーの戦いで、イギリスのクライヴが活躍し、フランス勢力をインドから追い出します。

ここからイギリスはインド支配をこれからさらに強めていくことになります。

ヨーロッパのアメリカ植民地への進出

【前回までのあらすじ】

ヨーロッパが大航海時代に進出したのはアジアだけではありません。巨大な未開拓地、アメリカ大陸へも進出します。

1492年にスペイン国の命でコロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、スペインはラテンアメリカ(中南米)の開拓に乗り出します。

1521年にはコルテスがアステカ文明を、1533年にはピサロがインカ文明をそれぞれ滅ぼします。(アステカ文明は中米・メキシコ周辺、インカ文明は南米・ペルー、チリ周辺で育った文明です)

ポルトガルのカブラルがブラジルを発見したため、ブラジルを支配に置くことはできませんでしたが、それ以外の中南米は全てスペインの支配下に置かれることになります。

10分でわかる世界史Bの流れ!近世ヨーロッパ(1)〜大航海時代の幕開け〜

2016.06.06

スペインの中南米進出

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1545年に南米のボリビアで、ポトシ銀山という多量な銀を保有した山が見つかります。
当時の中南米ではエンコミエンダ制によって、インディオを奴隷のように働かせることが認められていたので、ポトシ銀山でも多数のインディオが採掘に駆り出されました。

しかし過酷な労働環境・ヨーロッパからの疫病の伝染によって多数のインディオが亡くなったことで、労働力が不足し始めます。

そこで新たな労働力として西アフリカから黒人奴隷が運び込まれました。黒人奴隷たちは、金銀の採掘・砂糖やタバコを生産するプランテーションに使われました。

オランダの北アメリカ進出

1621年、オランダは西インド会社という南北アメリカ⇔西アフリカを結ぶ貿易会社を設立します。事業の一環として、北アメリカ東岸に、ニューネーデルラント植民地を建設します。(この中で発展した都市がニューアムステルダム

イギリスの北アメリカ進出

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1607年に、イギリスは北アメリカに初進出し植民地を建設します。4年前に亡くなった処女王エリザベス女王にちなんで、ヴァージニアと名付けられます。

続くジェームズ1世のピューリタン弾圧に反発した、ピルグリム・ファーザーズが1620年に辿り着いた先が、ニューイングランド植民地です。

1664年には、オランダのニューネーデルラントを奪い、ニューヨークと改名します。

イギリスは18c前半には、北アメリカ東岸に13植民地を形成します。

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フランスの北アメリカ進出

17c初めにフランスは、カナダへと進出してケベックを中心に植民地を増やしていった。

ルイ14世の時代には、アメリカの南岸のミシシッピ川流域のルイジアナ植民地という広大な土地を手に入れます。

イギリスとフランスの植民地争い

イギリスとフランスの戦いはヨーロッパ本土では飽き足らず、世界各地でも行われました。両国は、17c初めから1815年のナポレオン戦争終結の約100年間対立しあったので、かつての大戦争になぞらえて第二次英仏百年戦争とも呼ばれます。

今回は、アメリカ大陸で行われた英仏植民地戦争について紹介します。

アン女王戦争(1702〜13年)

1701年にハプスブルク家を巡るスペイン継承戦争がヨーロッパで行われると、互いに支援する国が対立したイギリスとフランスは、同時期にアメリカ大陸でも戦争を行います。

それがアン女王戦争です。これはオーストリア側を支援したイギリスの勝利に終わり、ユトレヒト条約によって北アメリカ地域をフランスから奪います。

ジョージ王戦争(1744〜48年)

1740年にオーストリア継承戦争がヨーロッパで行われると、アメリカ大陸ではジョージ王戦争が行われた。引き分けに終わったので、あまり重要ではない。

フレンチ=インディアン戦争(1754〜63年)

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ヨーロッパの七年戦争と並行してアメリカ大陸で行われた、フレンチ=インディアン戦争。(他にもアジアでプラッシーの戦いが行われた)

この戦争は18世紀に起きた世界を巻き込んだ大戦争であり、1763年のパリ条約でイギリス側の勝利に終わった。

これによってイギリスは北アメリカでの広大な地域を手にすることができた。

イギリスはフランスから、カナダ・ミシシッピ川以東のルイジアナを獲得。またスペインからフロリダを獲得した。(スペインはフランスからミシシッピ川以西のルイジアナを獲得している)

イギリス・フランスは、互いの領土を巡って大戦争を行った。この戦争にかかった費用は、それぞれアメリカ大陸・フランス国内への課税へと向けられる。

この戦費調達のための両国の課税が市民の反発を招き、後にアメリカ独立戦争・フランス革命を引き起こすのはまた次のお話。

黒人奴隷と三角貿易

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最後に、黒人奴隷と三角貿易について触れておきます。

16cのスペインによるポトシ銀山の採掘、18cのイギリスなどによるタバコ・サトウキビのプランテーションに使われた労働力が黒人奴隷だ。

黒人奴隷は西アフリカからアメリカ大陸へと強制連行され、過酷な労働を強いられます。この黒人奴隷を捕らえるために、ヨーロッパからは旧式の武器が輸出されていました。(この黒人奴隷を連れてきたのは現地の白人に限らず、黒人が黒人を捕らえて売り払うことも行われていました。)

そして黒人奴隷を使役してアメリカ大陸で栽培されたものを、ヨーロッパへと輸出します。

これで三角貿易の完成です。

黒人奴隷が貿易に組み込まれているというのは、恐ろしいものですね。

この三角貿易によってヨーロッパは一気に裕福になります。無償労働を強いられ大幅に損をしている黒人がいるということは、大幅に得をしているヨーロッパ人がいるということです。この三角貿易で特に資本を蓄えたイギリスが、次に産業革命へと駒を進めることになります。