10分でわかる世界史Bの流れ!中世ヨーロッパ(5)〜ビザンツ帝国・東ヨーロッパの成立〜

以前からちょいちょい登場しているビザンツ帝国を含めた、中世の東ヨーロッパについて解説していきます!

まぁ、解説といっても今回は単純な暗記が多めであまり面白くないですが・・・気合で覚えるしかないですね。多少、学習tipを書いてありますが。

ビザンツ帝国の成立から滅亡まで

完全な通史になります。

ビザンツ帝国とは、古代ローマ帝国が395年に滅び、分裂した際に残った東側部分で首都はコンスタンティノープルです。

特徴としては皇帝教皇主義。つまり、皇帝が教皇でもあるということです。西ヨーロッパでは教皇と皇帝が分かれてたがゆえにお互い対立することになったのは前回説明したとおりですが、ビザンツ帝国では皇帝、教皇は1人しかいないので宗教と政治の方針がブレることはありません。
また文化としては、ビザンツ文化です。ほぼ古代ギリシャ文化の真似事ですけどね。

ビザンツ帝国の最盛期は6cのユスティニアヌス帝の時代です。彼は成し遂げたことが多く大きく2つ。

✔外交戦略
ヴァンダル王国、東ゴート王国を征服
・ササン朝ペルシャのホスロー1世との対立

✔文化的貢献
・トリボニアヌスに命じて「ローマ法大全」を編纂
ハギア・ソフィア大聖堂を建設し、ビザンツ様式(ドーム型の屋根とモザイク壁画が特徴的)の代表的な建築物に

7cには統治制度として、軍管区制(テマ制)が設定されます。広大な帝国をいくつかの区にわけて、各区の司令官に軍事・行政の権限を与え統治させた制度のことです。が、地方分権が強まりすぎてTopであるビザンツ皇帝の権力が弱まる結果に終わります。
軍管区制と同時期に、屯田兵制という土地を与える代わりに兵役を課す制度も始まります。

また8cには、先述のレオ3世がイスラム圏の圧力を受けて聖像禁止令を発布します(726年)
これがキッカケで、東西教会の対立が強まります。
ちなみに聖像画のことをイコンと言います。

1054年、東西教会の分裂が正式に決定します。東側のコンスタンティノープル教会は、ビザンツ帝国と結びつき「東方正教会」として発展していきます。

11cからはプロノイア制という土地制度が開始。皇帝が1代に限って将軍や貴族などの権力者に土地・住民の管理を任せる代わりに、軍役の義務を課す制度。西洋の封建制度と似てる。

1202〜04年 ヴェネツィア商人を中心に組織された第四回十字軍によって、コンスタンティノープルを略奪・占領されラテン帝国を勝ってに建てられる→もう一度ビザンツ帝国復活!

1453年 トルコのオスマン帝国によってビザンツ帝国は滅ぼされる

東ヨーロッパ世界の概要

ビザンツより東側・北側の国は何をしていたのかについて簡単にまとめておきます。
ここでは、やけにカトリックor東方教会を受け入れたことを重要視してきます。それは、現在この地域がユーゴスラビア地域として宗教観の違いで対立し戦争しているからです。

地図とセットでどの国がどの宗教を受け入れたのか見れば覚えやすいです。一本の線が引かれるようになります。

ハンガリーの建国史

東方民族であるマジャール人は10c末に神聖ローマ皇帝オットー1世に敗れたため、代わりにハンガリー王国を建国。11世紀以降はカトリックを受け入れる。

西スラブ人の建国史

西スラブ人(ポーランド人・チェック人←チェコ人ってこと)

ポーランド人は10cに王国を建国し、すぐにカトリックを受容。
14cにヤゲヴォ朝という東ヨーロッパ最強国家が誕生し1572年まで続きます。

チェック人もカトリックを受け入れ、10cにボヘミア王国を建国するも神聖ローマ帝国の支配下に。

南スラブ人の建国史

南スラブ人(セルビア人・クロアチア人・ブルガール人)

クロアチア人は一時フランク王国に服属し、カトリックに改宗。

セルビア人は早くから東方教会を受け入れ、11cにはセルビア王国を建国

ブルガール人も東方教会を受け入れます

ロシアの建国史(東スラブ人)

以前説明した続きですが、ロシアには東スラブ人が住んでいました。

がノルマン人が攻めてきて、862年にリューリクノヴゴロド王国を建国します。
が、ノルマン人たちはスラブ人にすぐに同化。以降はスラブ人扱いです。

882年にノヴゴロド王国の一族が南下してキエフ王国を建国。
10cにウラディミル1世が東方正教に改宗し、ロシアはビザンツ化していきます。

次にロシアは「タタールのくびき」つまりモンゴル人の支配下に置かれることとなります。ロシア人たちはおかげで発展が遅れ、不遇の時代を過ごします。

1237〜1240年 バトゥ率いるモンゴル軍が、ロシアを征服
1241年 ワールシュタットの戦い。ドイツ・ポーランド連合軍が、バトゥらモンゴル軍相手に戦うも惨敗
1243年 モンゴルのバトゥが南ロシア地域にやってきてキプチャク=ハン国を建国します。

1243〜1480年までロシアはキプチャク=ハン国の支配下に置かれます。

14c   モスクワ大公国がキプチャク=ハン支配下の中建国される
1480年 イヴァン3世がモンゴルの支配下から完全に自立!ツァーリ(皇帝)を自称します

1547年 イヴァン4世、通称雷帝が即位