2017年度「センター世界史B」を詳しく解説!僕の具体的な解答プロセスも教えます

2017年度センター世界史Bをわかりやすく解説します

受験生のみなさん、2017年のセンター試験1日目、本当にお疲れ様でした!

僕のブログでは普段センター世界史Bの解説記事を投稿しています。そこで今回は世界史に関わる端くれとして2017年度センター試験を僕なりの独自の視点で解説を行っていきたいと思います!

予備校の解答速報のような難しい言い回し、などはしないつもりなので気軽にどうぞ!

センター世界史B2017年度の問題はこちらから(pdf)

●解き方
正攻法:4つの選択肢の中から、正解(誤っている)のものを瞬時に判断できる問題
消去法:4つの選択肢の中から、正解(誤っている)のものを3つ消去して、答えを導き出す問題

●問題の種類
暗記問題:単純に人名や事件などの用語を暗記していなければ解けない問題
地理問題:地図上のことを世界史とリンクさせて解く問題
世界史の流れ:世界史の時代の流れ(時代順序)が頭に入っていれば解ける問題

普段はセンター世界史の解説記事をUPしています。よろしければ、こちらのリンクをご参照下さい

第一問 世界史上のマイノリティ(少数派)

問1 解答 ④ 「消去法&暗記問題」

カタリ派とは南フランスで広がったキリスト教の異端宗教です。フランスではカタリ派討伐のために、アルビジョア十字軍が組織されました。

●消去法で解く。

①ネストリウス派はエフィソス公会議以降、確かに中国へ広まりましたが、実際に広まったのは漢ではなく唐の時代です
②チェコの神学者フスが1414年に異端認定されたのは、コンスタンツ公会議
③三位一体説を唱えたのは、キリスト教の正統派認定されたアタナシウス派

カタリ派討伐のために組織されたアルビジョア十字軍。教科書にも載っていますが、【やや難問】だと思います。僕も解説記事には載せていませんでした。この問題は、消去法のほうが解きやすいと思います。

問2 解答 ③ 「正攻法」

ベルベル人とは、北アフリカの先住民たちのことで、進んでイスラム教へと改宗し、ムラービト朝・ムワッヒド朝を北アフリカに建国しました。

●消去法で解く。

①ニジェール川流域で栄えた国は、ガーナ王国・マリ王国・ソンガイ王国です。それぞれ栄えた時代は異なりますが、1セットで覚えましょう。
②写実的なアマルナ美術が栄えたのは、古代エジプトのアメンホテップ4世の時代です。
④マダガスカル島は、かつてフランスの植民地でした。

正攻法で解ける【易問】だと思います。ベルベル人といえば、イスラム教国家ですよね。

マダガスカルがフランスの植民地というのは、やや難しいですよね。

問3 解答 ④ 「正攻法」

正攻法で簡単に解ける問題です。

7cに破竹の勢いで普及したイスラム教に後押しされて、ビザンツ帝国が726年に発した聖像禁止令がきっかけで東西ローマ教会が対立し、1054年には分裂することになります。

●消去法で解く。

①アラゴン王国とカスティリャ王国が統合されて誕生したのは、スペイン王国です。
②ラテン帝国とは、第4回十字軍の暴走によってコンスタンティノープルに成立した国です。
③シチリア王国を建国したのは、ノルマン人ですね。両シチリア王国と教科書では呼んでいるので困惑したかもしれませんが、実際に「両シチリア王国」と呼ばれるようになったのは1816年からなのです。それ以前は正式にはシチリア王国です。

正攻法で解ける【易問】です。聖像禁止令は、東西教会分裂のきっかけにもなった重大知識ですからね。

「シチリア王国」という表記は少しまぎらわしいですよね。正式表記は確かにこちらですが、意味なく困惑させる問題は好きじゃないです。

問4 解答 ②

インドのイギリスからの独立までの流れを頭に入れておく必要があります。

1857-59年のシパーヒーの乱などの抵抗活動によって、インド側はイギリスへ意見する場であるインド国民会議を1885年に獲得しました。

最初はインド国民会議は穏健組織でしたが、次第に激しい民族運動の中心組織となっていきます。これに手を焼いたイギリスは、インド内を2つの勢力で分割して混乱を起こさせようとしました。これがベンガル分割令で、ベンガル州をイスラム教側とヒンドゥー教側の2つに分けました。

このベンガル分割令に激怒したのがヒンドゥー教徒主体の国民会議派で、ティラクを中心にイギリスに徹底抗戦しました。

一方で、1906年に成立した全インド=ムスリム連盟とは、イギリスの支援によって成立したイスラム教の組織です。最初はインド国民会議派と対立していましたが、次第に共闘して1947年の独立を目指しました。

問5 解答 ② 「正攻法」

アイユーブ朝を建国したサラディンが、第一回十字軍に占領されたイェルサレムを取り返したのは有名ですね。

●消去法で解く。

①アイバクがインドで創始したのは、奴隷王朝ですね。
③ベルベル人が北アフリカに建国したムワッヒド朝が進出したのは、現スペイン・ポルトガルがあるイベリア半島ですね。(ちなみにアナトリアとは、現トルコがある半島のことです)
④アチェ王国が建てられたのは、スマトラ島です。

正攻法で解ける【易問】だと思います。サラディンがイェルサレムを奪還したのは世界史では常識の部類でしょう。消去法でも、④以外は楽勝ですね。

問6 解答 ②

a. チョーラ朝とは、南インドに栄えた王朝です。「海の道」という海上交易の中心となった南インド。特にその代表的な王朝が、チョーラ朝です。

b, イギリスがアジア貿易の中心としたのは、マドラス・ボンベイ・カルカッタです。ゴアを貿易の中心としたのはポルトガルだったということを覚えていれば解けると思います。

【やや難問】だと思います。教科書にもチョーラ朝は載ってますが、、、ん〜現役時代の僕なら落としてますね。

問7 解答 ③「消去法」

バルト三国の1つ、ラトヴィアは、他エストニア・リトアニアと共に第2次世界大戦中にソ連に併合されます。

バルト三国が、ソ連に併合されたことを知っておけば解ける問題ですが、消去法の方が簡単だと思います。

●消去法で解く。

①アイグン条約とは、ロシアが清と結んだ条約。
②ロシアがアラスカを売却したのは、アメリカ。現在でもアラスカはアメリカの飛び地ですね。ロシアが19世紀に格安で売って、あとから資源が大量に見つかって後悔するというオチまでつきます。
④ソ連のアフガニスタン撤退を決めたのはゴルバチョフ。フルシチョフが決めたのは、キューバからのミサイル基地の撤去。

問8 解答 ③

a. 第一次世界大戦は1914年に始まり1918年に終わりました。まぁそんなこと知らなくても、ドイツの銑鉄生産量がイギリスを上回っている1905年に第一次世界大戦が終わったとは思わないはずです。

b. 第二次五ヵ年計画は、スターリンのもとで1933−37年に行われました。まさにこの時期に銑鉄生産量が伸びていますね。

問9 解答 ④「世界史の流れ」

チェチェン紛争とは、1994年に始まったロシアに対する独立運動です。

チェチェン紛争は、地理で習ったり、ニュースでも取りざたされるので最近の出来事なんだなという認識があれば解けると思います。まぁ、ただロシア絡みの独立運動はたいてい1991年のソ連解体以降ですよ。

第二問 世界史上の革命や政治体制の変化

問10 解答 ④ 「正攻法or消去法」

ミドハト憲法とは、オスマン帝国で制定されたアジア初の憲法です。

①近代国家の原則である国民主権。これを日本国憲法が謳っていないわけがない。
②アメリカ合衆国憲法は、モンテスキューを参考に三権分立の原則を採用しました。
③最も先進的な憲法であるワイマール憲法。特に労働者の団結を認めたり、男女普通選挙を認めたりととにかく先進的でしたが、ナチズムの台頭で消滅してしまいました。

ミドハト憲法は割りとよく出る問題だとは思いますが、消去法でも簡単だと思います。

問11 解答 ② 「正攻法」

アテネでは、民会という司法・行政の最高機関が存在し、構成員は18歳以上の青年男性市民でした。

①オーストリア首相のメッテルニヒが失脚したのは、1848年の三月革命。三月革命後に作られたのが、フランクフルト国民議会。
③模範議会が開催されたのは、イギリス。フランスの同時期の議会は、三部会。
④ドゥーマとは、第一次ロシア革命でニコライ二世が承認した国会のことです。

問12 解答 ①

a. 1830年の七月革命で王に君臨したルイ=フィリップですが、1848年の二月革命で失脚します。こうしてフランス革命以来の第二共和政がフランスで誕生しました。

b. リベリアはLibertyに語源がある通り、1847年にアメリカで解放された黒人奴隷によって作られた国で、長い間独立を保っています。

問13 解答 ①「消去法」

ラテン人によって建国されたローマですが、一時期エトルリア人の王に支配されていた時代もありました。前509年にエトルリア人の王をラテン人が追放して、ローマ共和政が始まります。

②共和政の時代では、基本的に平民は貴族に虐げられています。ローマでも身分間闘争があったように、平民はなんとか貴族と同等の立場に立とうと画策していました。
③ローマ帝政が始まったのは、オクタヴィアヌスがアウグストゥスの称号を与えられた時です。ただしオクタヴィアヌスの帝政は、元老院の顔も立てた上での帝政です。元老院を無視したディオクレティアヌス帝以降は、元老院を無視した完全なる帝政です。
コンスタンティヌス帝は関係ありませんね。
④ローマ帝国が東西分裂したのは、テオドシウス帝の時代です。ユスティニアヌス帝は、ローマ分裂後の東ローマの最盛期の皇帝です。

ローマの建国史の序盤に出てくるエトルリア人は、あまり試験には出てこないですよね。消去法の方が、無難かと思います。

問14 解答 ②「地理問題&世界史の流れ問題」

もはや若干、地理の問題ですね。ヴェネツィアもアムステルダムも今なお存在するヨーロッパの主要都市です。ヴェネツィアは水の都と称されるイタリアの都市。アムステルダムは、オランダの首都ですね。

中世ヨーロッパの時代に東方貿易に従事したのは、ヴェネツィア商人たちです。

オランダが香辛料貿易で発展するのは17世紀なので、近世ですね。

問15 解答 ②

キール軍港での水兵反乱は、そもそもドイツでの反乱なのでロシアは関係ありませんね。

問16 解答 ① 「暗記問題」

メキシコ革命についてですね。

当時メキシコで独裁体制を敷いていたのは、ディアス大統領で、これを打倒しようとサパタたちが立ち上がりました。

問17 解答 ②

蒋介石を貶めるために建てた汪兆銘政権。

日本の支援を受けた傀儡政権であったため、民衆の支持がなくすぐに消滅しました。

問18 解答 ④

台湾の民主化を進めたのは、李登輝

第三問 国家が諸地域を統合するために採用した制度について

問19 解答 ②

イクター制がブワイフ朝で始まったのは知っておくべき。

問20 解答 ③「消去法」

日本の治安維持法は、世界史・・・なのだろうか?帝国主義を取った日本では起きておかしくない法律です。ただ消去法のほうが、わかりやすいかなと思います。

①朱全忠は唐の時代の人間。文字の獄は、清の康煕帝・雍正帝・乾隆帝の時代に行われました。
②焚書坑儒を行ったのは、秦の始皇帝です。
④カトリック教徒解放令はイギリスでの法令です。イギリスでは1673年の審査法の制定以来、イギリス国教会の人間以外は官僚職に就けませんでした。カトリック教徒に厳しかったイギリスならではの法律です。(スペインは旧教国なので、カトリック教徒に厳しくするはずがありません。)

問21 解答 ④ 「暗記&常識問題」

ア. アフリカ大陸の横断に成功したのはスタンリー。リヴィングストンを救出したことで有名。タスマンはオーストラリア大陸の探検家。

イ. 20世紀の南極探検は有名だろう。

問22 解答 ④「地理問題」

随の煬帝が建設した大運河は有名。長江から長安に渡る南北の流通を発達させた、大運河だ。

ちなみにaは黄河。

問23 解答 ③ 「消去法」

アメリカ合衆国がラテンアメリカ諸国とOASを結成したなんて現代史、まずみんな覚えていないと思うので消去法で解くのが普通でしょう。

●消去法で解く。

①燕雲十六州は、後普の建国に協力した契丹が譲り受けた地域。
ネーデルラントの北部7州が結成したユトレヒト同盟は、スペインからの独立を宣言します。
④エフタルとムガル帝国では時代が大きく違いすぎる。エフタルが圧迫したのはササン朝ペルシャで、ムガル帝国はイギリスのせいで衰退した。

問24 解答 ②「正攻法」

唐代ではこれまでの徴兵制である、府兵制に代わって募兵制が成立します。

●消去法で解く。

①五胡十六国時代は4〜5世紀。唐はその後の7〜8世紀です。
③康煕帝は清の時代の人。
④アロー戦争後の北京条約で、ロシアは沿海州を獲得します。これも清の時代です。

問25 解答 ④「消去法」

マクドナルド首相の時代が、第2次世界大戦前のブロック経済の時代で、各国が金本位制を停止していたという流れを覚えていればすぐにわかったかと思います。

ただ、消去法の方が簡単だったと思います。

●消去法で解く。

①五銖銭を発行したのは漢の武帝。
②交鈔は、金・元時代に発行された紙幣。
③ドイツのハイパーインフレ解消のためにシュトレーゼマン内閣で発行されたのが、レンテンマルク。

問26 解答 ④「正攻法or消去法」

シパーヒーの乱がイギリス支配への不満から生まれたことは先述の通り。

●消去法で解く。

①マラトンの戦いで勝利したのはギリシャ側ではあるが、アテネとプラタイアの重装歩兵
オドアケルは、西ローマ帝国を滅ぼします。
③三十年戦争でヴァレンシュタインが指揮したのは、神聖ローマ帝国。

問27 解答 ③「暗記問題」

a. プロノイア制はビザンツ帝国の土地制度です。

b. 前漢の高祖(劉邦)は、郡国制を採用します。

第四問 世界史における自然環境•資源と人間との関わりについて

問28 解答 ④「地理問題&暗記問題」

bに位置するインカ帝国は南米のチリあたりで栄えた文明です。(マチュピチュが有名)インカ帝国を滅ぼしたのは、スペインのピサロ。

ちなみにaのアステカ文明を滅ぼしたのがコルテス。

問29 解答 ④「世界史の流れ」

スペインが南米のボリビアで見つけたポトシ銀山では大量の銀が採掘され、スペインのアジアの拠点であるフィリピンのマニラを通ってアジアにもたらされました。

スペインが占領していった場所を覚えていれば簡単に解ける問題です。大航海時代、ブラジルを除く南アメリカ大陸、フィリピンなどを占領しました。

問30 解答 ③「正攻法or消去法」

プレヴェザの海戦でオスマン帝国は、勝利して地中海の覇権を手に入れています。

アクティウムの海戦で勝ったのは、オクタヴィアヌスです。このあとアウグストゥスの称号をもらいます。
トラファルガーの海戦でイギリス艦隊が敗北したら、ナポレオンが本当にヨーロッパを支配したかもしれません。大丈夫です。ネルソン提督が勝ってます。
④ミッドウェーの海戦で、日本軍は敗北しています。

問31 解答 ② 「暗記問題」

a. 万物の根源は水だと考えたのは、タレース。水が垂れーす(タレース)と覚えましょう。

b. 宋応星が記したのは、「天工開物」。「本草綱目」を記したのは、李時珍。

問32 解答 ①

インド文化(ヒンドゥー教)の影響を受けたのはチャンパー。aのベトナムに位置する。

マタラム王国は、イスラム教国家なのでインドとは関係ない。位置はジャワ島のb。

問33 解答 ②「正攻法」

アテネが三段櫂船を用いてサラミスの海戦でペルシャに大勝利したのは有名。この戦争がきっかけで三段櫂船の漕ぎ手である無産市民たちの立場が上昇し、アテネの民主政治が完成する。

①無制限潜水艦作戦を実行したのは、第一次世界大戦のドイツ軍。これがきっかけで、アメリカ軍が参戦する。厨二っぽい名前はだいだいドイツ笑。
③蒸気船を実用化したのは、アメリカのフルトン。ハーグリーブスはジョニー紡績機を作りました。
④亀甲船といえば、朝鮮の李舜臣。これで豊臣秀吉の水軍は撃退される。

問34 解答 ①「世界史の流れ」

イギリス支援で、スエズ運河が開通したのは1869年。

テネシー川流域開発は、ニューディール政策の一環なので1933年。

アスワンハイダムの建設が目指されたのは戦後で、1954年に建設が開始。

どれも時代が、19世紀・第二次世界大戦前・第2次世界大戦後、と大幅に離れているので普通に授業を聞いて流れが頭に入っていれば解ける問題ですね。

問35 解答 ②「消去法&暗記問題」

①鉄製武器を初めて本格的に用いたのは、ヒッタイト人
③ハンザ同盟の中心は、リューベック
④コークスを用いた製鉄法を発明したのは、イギリスのダービー親子

問36 解答 ①「暗記問題」

植物分類学を確立したのは、リンネ

「ファウスト」を記したのはゲーテ。ヴァルミーの戦いで、プロイセン軍がナポレオン軍に敗北すると、「この日ここから、世界史の新しい時代が始まった」と記したと言われています。

以上で2017年度のセンター世界史Bの解説を終わります!

これにて、2017年度のセンター世界史Bの解説を終わります!

以上全問題を、時代区分ごとにおおざっぱにまとめると下の図のようになります。やはり近代西洋史はボリュームがありますね。

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